与謝野町について

history
歴史

平成18年3月1日、加悦町・岩滝町・野田川町が合併し誕生した「与謝野町」は、京都府北部、日本海に面した丹後半島の尾根を背景とし、南は福知山市、東は宮津市、西は京丹後市などに接しています。大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、鮭が遡上する野田川流域には肥沃な平野が広がり、天橋立を望む阿蘇海へと続いています。
総面積108平方キロメートルの範囲に約2万2千人が暮らしており、南北約20キロメートルの間に町並みや集落が連なるというまとまりの良い地域です。気候は、冬に降水量の多い日本海側の山陰型気候で「うらにし」と呼ばれる時雨が特徴ですが、春は桜、夏は新緑、秋は黄金色の稲穂と紅葉などの彩りに包まれ、また、冬は多くの水鳥が水辺に集います。川の流れや海の眺めが美しく、四季を通じて様々な景観を堪能できる地域です。
かつては海を通じて大陸・朝鮮との交流が盛んであった日本海側が表日本であったといわれるように、本地域も出雲・越地方と並ぶ古代からの文化地帯で、弥生時代のガラス釧(腕輪)や多数の鉄剣などが発見された大風呂南墳墓群、丹後三大古墳の一つである蛭子山古墳(国史跡)をはじめとする貴重な遺跡が分布し、丹後王国の一画を占めていたとも主張されています。
近世では、「丹後の堺」と称されるほど栄えた廻船業の歴史や、町名の由来となった与謝蕪村や与謝野鉄幹・晶子など文人のゆかりも多く残されています。

the local industry
ものづくりのまち

自然豊かな大江山連峰から流れ出るミネラル豊富な水が育む肥沃な大地は、古くから与謝野町の農業を支えています。その特徴は、自然循環農業と名付けた独自の「土づくり」にあります。この土づくりの元となるのが「京の豆っこ肥料」です。町が自ら肥料を作り、町内の農業者と一緒になって土づくりを実践しています。
また、「丹後ちりめん」に代表される絹織物は古くから人々を魅了し、地域と共に発展してきました。弥生時代の遺跡からは糸関連の道具が出土し、奈良時代には「あしぎぬ」とよばれる絹織物が朝廷に献上され、現在も正倉院に残されています。丹後ちりめんの始まりは約300年前。先人たちの努力によって京都西陣から持ち帰えられた技術は、惜しむことなく地域に伝えられ瞬く間に広がり地場産業として根付きました。雨が多く、湿度が高い気候風土が絹織物の生産に適していたこと、大和と出雲の両文化の交流地だった土地柄ゆえ絹織物の文化が花開いたとも考えられています。気候、文化、人。様々な条件により発展した丹後の絹織物は、昭和40年代後半にかけて生産量の最盛期を迎えましたが、現在は1/30にまで減少しています。そういった中、近年は職人の意識に大きな変化が芽生え始め、産地として新たな歩みを進めようとしています。