YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

静岡・遠州×綿織物/コーデュロイ

遠州編Vol.2

遠州産地訪問では浜松市役所産業部 産業振興課の杉浦健太さんに同行してもらい、移動中にも産地のあれこれを聞かせてもらった。尾州のテキスタイル・マテリアルセンターの催しを通じてひらく織の活動を知り、アテンドを引き受けてくれたのだ。2日目は、古橋織布有限会社の濱田美希さんと若手の繊維関係者も加わり、賑やかなチームで機場を巡る。

産地の異端児 カネタ織物株式会社

「見た目はプレーンだけど、質感で表現する生地が作りたいと思って」。ハンガーサンプルを前に、自社製品のコンセプトを話してくれたカネタ織物三代目 太田稔さん。同社の特徴は綿の強撚糸を使った高密度の織物。その生地は、弾力を感じるような風合いで、通常の綿織物よりハリとコシが強い。

カネタ織物三代目 太田稔さんと四代目 充俊さん

丹後メンバーは「強撚」というキーワードに喰らいつく。丹後ちりめんは絹の強撚糸を用いる織物なので、他の繊維で撚り数が多いとどういう効果があるのか気になるのは当然のことだった。短繊維の綿は糸にする時点で撚りがかかっているが、その「地撚り」は1メートル間に1000回程。そこへ「追い撚り」を40番手だと2000回くらい、80番手だと2400回転くらい加え、合計3000回転ほどに仕上げた糸だという。産地内には撚糸工場があり、乾式撚糸をかけた後に窯へ入れてヒートセットをすると撚りが固まる。そのままだと、撚った糸が解けようとして丹後で「ビリつき」と呼ばれる現象が起こってしまう。撚糸と言っても、素材や製造法は全く異なる。けれど、撚糸によって糸量が密になった製品の風合いは、どちらも豊かなボリュームを感じることができる。

細番手高密度のシャツ地からコーディロイまで、幅広い製品を手がけるカネタ織物。生地の状態で初めて目にしたコーデュロイは平織りをベースに、緯糸を飛ばしたパイル織が組み合わされていた。パイルの部分をカットするとコーデュロイの畝が現れる構造で、素材は綿や獣毛などさまざま。畝も細いものから太いものまでバリエーションがあり、密度によって115メートルしか織れないもの、50メートル織れるものなど幅が広い。創業は祖父の代、村の中にあった工場から織機を「間借り」して別珍とコーデュロイの生産を始めた。周辺には地区内だけで10以上の機屋があり、カッチングや剪毛の業者があり、絶好の環境だった。昭和の全盛期には産元から糸もふんだんに支給されて、余り糸で製造した反物の単価の方がよかったらしいなんて産地あるある話も。2代目になると、浜松の産元商社から注文を受けて綿のYシャツ地を製造する工賃仕事へと移り変わる。どんな製品でも織ることが必要とされ、技術の土台を築いた。

自社製品開発のきっかけは20年ほど前の展示会に組合ベースで参加したこと。試しに作ってみた自社製品を参考商品として展示したら好評で、問屋から「着分(ちゃくぶん)*1」の注文が入ってしまった。生地の在庫もなく用語も知らないけれど、動き出してしまったものは完成させなければならない。これまで産元商社が差配していた領域の仕事も覚え、一つずつ製品を完成させ世に出していく。「メーカーも問屋も、これまで人に任せていた範囲のことまでしないといけないので、双方が歩み寄り勉強しながら作っていったよ」。そこに生じる数々の「これまでやらなくてよかった仕事」に引かなかった。

やがて製品の評判が業界内外へ伝わり、自動車ディーラーで働いていた息子 充俊さんの耳に「実家はいい仕事をしているね」と声が届いた。それまで意識しなかった家業のことを調べてみると、現在でも9割以上の機屋が産元からの賃織をしている状況にあって自社製品で勝負していること、日本唯一のコーデュロイ産地で優れた生地を作っていること…「誰もができない仕事」だと気が付いた充俊さんは4代目として継承を決意。「まだ勉強中です」と控え目ながらも、地域の企業にきちんと仕事を出せて業界全体を盛り上げていきたいと目標を語ってくれた。きっと稔さん同様、一歩も二歩も輪を広げた動きを見せてくれるだろう。エンシュウ製作所のシャットル織機が並ぶ機場が、次世代の機屋を育てていく。

*1 着分(ちゃくぶん) サンプルカットのこと、または洋服1着に必要な生地の分量

畝(うね)を切る刃が天も切る ホシノ

機屋が織り上げたコーデュロイや別珍は、そのままではまだ緯糸がパイル織になった状態だ。パイルとは毛羽やループ(輪)の状態を言い、パイル部分をカットして初めてコーデュロイの畝が、別珍の毛羽が姿を現す。コーデュロイのカットを「カッチング」、別珍のカットを「剪毛」と呼び、その方法も異なる。コーデュロイと別珍はどちらも緯糸がパイルになった「緯パイル織」だが、「経パイル織」はベルベットになり、二枚の織物の間の経糸をカットして切り分けて作られる。

カッチングの機械と道具

ホシノの星野秀次郎さんは53年間コーデュロイ のカッチング一筋で産地を支えてきた。日本のコーデュロイと別珍の95%を生産しているのは、遠州産地の中の天龍社産地。機屋の組合である天龍社織物工業協同組合があり、静岡県旧福田町を中心とした三市三郡で構成されている。かつて多くの機屋や加工業者が集ったが、別珍やコール天の特徴的な工程を担う「静岡県別珍コールテン剪毛工業組合」は解散してしまった。カッチングがなければコーデュロイは生産できないが、秀次郎さんに後継者はいない。量が増えるほど工賃が安くなる仕組みに、少しでも傷ができればマイナスの請求、基本的に「宛行扶持(あてがいぶち)*2」なので「請求書を出すのは僕だけじゃないのかな?」。カッチングの仕組みも、不条理の理由も分からずうろたえるひらく織チーム。兎にも角にも、カッチングの現場を見せてもらった。

ホシノ 星野秀次郎さん

織物の幅いっぱいに、円形のカッターの刃がびっしりと並んでいる。モーターを入れると高速で回転してその下を生地が通り、畝をカットしていく。刃の下には針とプレートが組み合わされた形状のガイドが畝の太さと本数に合わせミリ単位、いや、ミクロン単位で設置されている。針の部分がパイルの間に入り、地組織との間にわずかな空間を作る。そこへカッターの刃が入る仕組みになっていた。

モーターが回る瞬間、何百もの刃が回転する様は全員がのけぞる迫力だった。一度動き出すと、あとは自動的にカットされていくために工賃は最初の「セッティング料」として計算されるのだという。だから加工数量が増えても、なかなか代金に反映されない。しかし、何百反(遠州産地では一反は基本50メートル)もカットしていると、カッターの刃も消耗するし、カッターの刃を通している円柱の部材もすり減る。生地が接する作業台の角もわずかに減る。それも生地の厚みや張りによってばらつきながら減っていくため、100分の数ミリという調整が必要とされる。そして、たった一本でも地組織の糸を切ってしまえば全てこちらの責任。

最初の設定も、生地の貼りによって両端では畝も緩やかにカーブしているため、ガイド一本一本もそれに合わせた曲線に作らなければならない。製品ごとに最適なカットをするには気の遠くなる調整が必要になる。カッチング台の背面には、これまでに手がけたカットのガイドが何千本と積まれていた。窓ガラスには数ミクロンの調整値のメモ。近年ではコーデュロイのカッチング以外に広幅で織られた浴衣地や、新素材繊維のカットも仕事も入ってくる。新素材は企業秘密だからと組成も知らされず、最初はカッターの刃がボロボロになった。「それでも僕は切るけれどね」。ふふふと笑う秀次郎さん。最近手がけたという仕事は藍の先染めで織られた地組織に変形カットが新鮮で、コーデュロイにまだデザインの可能性が眠っていることを彷彿させるものだった。狂おしいほどの職人の技。私たちは、失ってしまっていいのだろうか。

繊細な表情のコーデュロイ
2  宛行扶持(あてがいぶち) 発注側の一方的な判断で与えられる手当

機料品の描き出す世界地図 有限会社宮下機料

ベルギー製レピア織機ピカノールは、国内のとある工場への出荷待ち。津田駒製ZAXエアージェット織機は某国へ向けてコンテナ積み込み待ち。チェコの織物工場から見つけ出したスイスのドルニエ社製レピア織機は、どこの機場が待っているのだろう…

 

有限会社宮下機料 宮下博行さんに案内されて同社の敷地を回る。壁一面のツールボックスに収められた何千もの機料品に、倉庫を埋め尽くす織機に、世界を飛び回るエンジニアの仕事に、口をぽかんと開けて驚くしかない。そこには世界の機屋事情が見え隠れするマーケットが広がっていた。

先代が創業した機料品店は、織機メーカーの代理店からスタートする。やがて織機の入替や廃業に伴う中古織機のやりくりができる存在が求められるようになり、メーカーの制約を受けない特約代理店へと移行。博行さんは、父親に継いで欲しいと言われて家業に入った。最初に手がけた大きな仕事は、北陸の機屋で自動管替機「ユニフル」を取付けるというもの。「丙午(ひのえうま)3」の年と言われ、管替えに従事する女工が少なくなって生産が追いつかなくなると噂されていた時代だった。「生産効率を落としたくない」という要望に答えるため、機場に泊まり込んで猛烈な勢いで取り付けと調整をこなしてゆく。ライバル業者に差をつけて完工させ、その後2000台もの改造を受注した。

有限会社宮下機料 宮下博行さん

丹後では、現在も多くの機屋が人の手で管替えを行なっている。その理由は、使う糸の種類が複数にわたること等いくつか挙げられるが「(丹後は)非効率に非効率を重ねた作り方だな」。思わずメンバーの口からこぼれた。不要となった繊維機器を必要とするところへ届ける現在のスタイルを確立した博行さんは、以前与謝野町を訪れている。それは、どこかの機屋が廃業したことを意味していた。

宮下機料の取引先は、海外が8割を占める。中国、バングラデシュ、ベトナム、ミャンマー…設置はもちろん、修理保全の為にも現地へ飛ぶ。「調子がおかしいってクレームがきた時は、メンテナンスの腕次第だって現場で証明する。そうすると、もう修理はいいから技術を教えてくれって言われるね」。まだ電力の安定していない国や地域では、安定した可動のためにエンジニアの能力が必要とされている。国境を超えて機械の調整を請け負う職人が大勢いるのだという。

 

「西暦2000年より前の織機はもう古いよ。ヨーロッパは10年進んでいるし、勉強しないと世界の動きに着いていけない。自分たちの代までなら使い終わりでいいけれど、新陳代謝しないと次の代に種火を残せないからね」。世界をまたにかける博行さんからかけられた言葉。私たちの目の前にあるのは、部品一つをどうやって手に入れようという問題。その距離にこそ、可能性があると思いたい。世界の機場事情が移り変わっても、丹後はガラパゴスとして生き残っていく。

*3 丙午(ひのえうま) 干支の一つ。江戸時代に始まる迷信で、出生率が下がるという現象が起こった

シャットル織機の性能と価値を活かした展開を、遠州産地訪問でいくつも見聞きした。丹後は、自分の機場は、自分たちの次の世代はどうなるのか。一手の結果がいつ見えるかは誰も知らない。一手に潜むリスクからは誰も守ってくれない。でも、一手を打たずに生き残れるなんてことは、恐らくないだろう。

 

記事 原田美帆 / 写真 高岡徹、黒田光力

梅田幸輔

整経、糊付けなどの準備段階が完璧であるからこそ、強撚糸で高密度な生地を織っても糸が切れたりすることなく、この産地特有の素晴らしい製品ができるというところに、遠州織物の他産地とはここが違うんだというこだわりやオリジナリティ、技術力の高さを感じた。さすがここ浜松市は、スズキ、ヤマハ、ホンダという日本を代表するメーカーを生んだまちだと感銘を受けた。

高岡徹

普段の生活で目にする質感良い生地が、この産地から生まれていることにとても刺激を受けました。畑違いと思っていても同じ織物業。丹後と同様に縮小していく中で何年も前から取り組み、進化していく姿が印象的でした。

羽賀信彦

訪問させていただいた機屋さんは自分たち世代の時に流通を見直し、請負の仕事から徐々にアパレルメーカーやデザイナーに販路を広げておられました。洋装と和装で取り扱う製品は違うものの、同じ白生地を扱う方の貴重な話が聞けて、とても刺激を受けました。

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