YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

京都・西陣 × 西陣織

京都・西陣編Vol.1

「西陣織」。京都・西陣を発祥とする多品種少量生産が特徴の先染めの紋織物のことをいう。現在は西陣を中心とした京都市北西部の他、丹後地域で生産されている。織物としては「錦」に分類され、紀元前3世紀の中国・秦時代に始まる。2色以上の色糸や金銀糸を使った華やかな紋織物の総称で、7〜8世紀にはペルシャで発展した緯錦*1が伝来し、正倉院に納められている。15〜6世紀には禅僧の袈裟として金襴錦*2が伝わり、名物裂*3としても珍重されるようになった。「金」の字に布を表す「帛(はく)」を足すと「錦」になる字からも、金銀や宝石と並ぶ貴重なものであったとうかがい知ることが出来る。日本国内での生産は5世紀ごろから始まったとされているが、飛躍的に磨かれたのが16世紀の京都・西陣だ。高機*4の改良など技術開発が細やかな表現を可能にした。

1200年の歴史を紡ぐ西陣織の世界へ、ひらく織が飛び込む。

現代的な意匠の西陣織
*1 緯糸を使って柄を出した織物、唐織や縫い取りとも呼ばれる
  西陣織は緯錦の織物で、経錦には博多織などがある
*2 和紙に漆を塗って金箔を貼り付け糸状に裁断した引箔や、金糸を織り込んだ豪華絢爛な織物
*3 鎌倉時代から江戸時代にかけて輸入された最高級の織物が茶道具を入れる袋や掛け軸に使われ、その希少性から呼ばれるようになった
*4 織り手が腰板にかけて織る手機のこと。それまでは織り手が地面に座って織る「地機」が主流だった

21世紀の問屋へ 株式会社細尾

国宝級の着物や作家ものを得意とする問屋、株式会社細尾。長い歴史を持ち美しい品を扱う老舗として、西陣の中でもひときわ存在感を放っている。最近はアートやデザインのメディアで目にすることも珍しくない。コンテンポラリーな機屋として躍進する細尾の暖簾をくぐった。

西陣織が貼られたソファとチェアが並ぶ

ソファや什器が美しく並ぶ空間に通され、どぎまぎしていた一行。「今日は、ざっくばらんに話しましょう。丹後の機屋さんにはよくお世話になっていますし、せっかくの機会ですから」。12代目 細尾真孝さんの気さくな雰囲気に緊張が解ける。大判の生地見本をめくりながら、それぞれの織物が生まれた経緯についても話を聞く。

霞とも雲ともつかないようなイメージやブラシでペインティングしたような大胆な図案、ドットが並ぶパターンは金糸がランダムに輝いて目を惹きつける。オランダのデザインチームと合宿しながら生み出したカラースキーム*5、ほんの少し見る角度を変えるだけで光り方が変化する生地、めくるめく素材と色彩と組織が次々と目の前に現れた。コンセプトよりも構造や素材に食らいつくのは、ひらく織メンバーが職人だからこそ。

美と技が詰まった織物

現在海外事業の売上は全体の2割ほどだが、いずれは5割まで育てたいという。その始まりは2006年、父 真生さんがメゾン・エ・オブジェ*6に西陣織を使ったソファーで出展。和装業界の縮小を危惧しての挑戦だったが、5日間の期間中オーダーはゼロ。小幅織機の生地は継ぎ目だらけで、家具の輸送やメンテナンスのノウハウもない。「製品を作って展開しないと」という考えが先行していた。翌年はリサーチを重ねてクッションを出展。小幅反物でも作れて輸送コストもかからないアイテムとして打ち出すと、ロンドンと香港の老舗百貨店からオーダーが入った。「赤字だけど励みになって。次も、その次もクッションを出し続けました」。この時には家業へ入っていた真孝さん。「当時はクッション営業でした。FedEx*7もインボイス*8もよく知らず手探りで。オーダーは少し入っていましたが、“息子が帰ってきて遊び半分か”みたいな空気感があって」。本当にざっくばらんな話に、業界トップランナーとの距離が縮まっていく気がした。

株式会社細尾12代目 細尾真孝さん

転換点は2008年。本業の帯がフランスの美術館の企画展に選ばれ、ニューヨークへも巡回。それを見た建築家から、建築の内装や家具の張り地に使いたいと連絡が入ったのだ。世界中のクリスチャンディオールブティックを彩る壁紙が、ここから生まれた。「和柄じゃないと戦えないと思っていたら、コンテンポラリーな柄のオーダーが入った。それで、西陣織はあらゆるものに使える“最高の素材”だと気がついたのです」。最初は丸帯*9の織機で70センチ幅から始め、やがて特注で150センチ幅の織機を作り1年に1台ずつ増やしていった。現在は6台の生産体制。さらに京都市外に新しい工場を準備中で、2019年秋から稼働予定だ。真孝さんとタッグを組んで技術開発に取り組む工場長はなんと与謝野町出身。西陣織を支える丹後への想いは深く、いくつかの機屋と協働プロジェクトも行なっている。

「良い意味でライバルが増えてほしい。けれど、織物産業が厳しい時代にあって、これからも本腰を入れていこうという機屋は多くない。でも、古くから西陣織を支えてくれた丹後の機屋からは本気でやっていく覚悟が見えます。だから共同プロジェクトも取り組むし、今後も何かを一緒にしていきたいと思っています」。かつてガチャンと織れば万と儲かった「ガチャマン時代」に、都市部の機屋の中には工場跡地を利用して不動産事業などを進めたところもあった。丹後でも新事業を展開した機屋もあったが、多くは織物に懸けた。生き残ってきた背景は機屋によってそれぞれだった。社屋を立替中の細尾にも不動産屋からオファーがあったが「1社でもクレイジーな企業にならないと」と自社のみのビルにすることを決断したのだという。

取材は本社ビルと別の工房にて

ディレクターとしてプロジェクトを主導する真孝さんは、大学卒業後にミュージシャンとして活動し、ファッションとジュエリーデザインに携わったキャリアを持つ。さまざまなカテゴリとフラットにつながる感性が、織物を世界に解き放っている。1年に1本のペースで取り組むというアーティストとのコラボレーションは自社と職人にとっての「筋トレ」と位置付け、適度な負荷をかけることで新しい技術を生み、職人の価値観もアップデートするのだそうだ。「死なない程度に失敗し続けるんです。きっと10回目でうまく行く」。その一線を超えてきた強さが、言葉に現れていた。

 

「本当に美しいものをどうやって伝えていくのか。織元として、老舗問屋として問い続ける必要があります。呉服のマーケットが機能しにくくなってきた現代に、それでも外されない価値を持つ存在として」。

*5 色彩計画、配色のこと
*6 フランスで1年に2回開催される世界3大家具見本市。
*7 世界最大手の物流サービス企業、220の国と地域にサービスを展開している
*8 日本から海外に輸出する際に必要となる書類の一つ
*9 幅広(約70センチ)に織り上げた帯地を二つ折りにして端を縫い合わせた帯
 

未来を結ぶ整経 有限会社渡部整経

宙に浮かぶ糸と糸を結ぶ動作は、まるでパントマイムを見ているようだった。一つの整経が終わり、次の整経をするために枠*10に小分けにされた糸を立てて前の糸と結ぶ。丹後でも目にする工程だが、所狭しと並ぶ色糸や間近にある整経機に目をとられて色糸が見えづらくなっていた。整経機も丹後でよく見るものより小さく、そのせいか回転も早い。整経が終了するたびにベルが鳴って、ビームへの巻取りと次の準備に取り掛かる。待ってましたとばかりに枠を入れ替え、糸を結び、整経機が周り出す。後ろの棚には次にセットする枠がきっちりと積まれている。無駄のない動き、無駄のない場所、無駄の一切ない連携プレー。

「丹後でこんなことをしたら、糸が絡まってできないと思う」。ひらく織の整経士、今井信一さんがポツリと呟く。地価の高さゆえに西陣の機屋は狭いところが多い。整経も例外ではなくコンパクトなスペースに整経機が4台並ぶ。丹後だったら2台ほどだろうか。それに糸の後ろには見えやすくするため黒い布をかけてあったり、何も置かれていない壁だったり、糸が見つけやすいよう極力情報を減らしてある。

渡部整経で現場を担うのは40代の若き後継者と、30代の中堅、20代の駆け出し整経士、4名の女性たち。3代目 渡部勝吾さんは60年のキャリアをもつ整経職人。機屋も整経屋も減る時代にあって「間違いのない仕事をこなして従業員を育てていることを前面に出したら大丈夫だと思っています」と “お金も時間もかかる”ことを受け入れる取引先と仕事をしている。後継者のいる機屋ほど積極的に仕事を頼んでくるという。西陣のほか、丹後・博多・桐生など他産地からも仕事がある。現在の課題は「糸繰り」だという。綛(かせ)*11から枠に巻き替える工程で、昔は20件弱の糸繰り屋があって外注していたが、3軒ほどにまで減り内製化することにした。単純そうに見えて難しい、その出来が整経にも大きく影響する仕事なのだ。

有限会社渡部整経3代目 渡部勝吾さん

鳴り続けるベルが、小ロット多品種化を象徴していた。小さな仕事を進めながら難しい整経に取り組める体制も渡部整経の強みだと、経糸がグラデーションを描く織物を見せてくれた。たった10色の色が滑らかに移り変わって、まさに一糸乱れぬ精巧な整経だった。技術と継承者を備えた渡部整経が、西陣を明日へつなぐ。

*10 糸を巻きつけてボビンの役割をする道具、和装産地などでは昔ながらの木製の枠が使われている
*11 糸を束状にしたもの。糸の種類によって一定の重さや長さに揃えられている

産地を超えた機屋のパートナーへ
にしき染色株式会社

絹の精練から化繊まで含めた染色・特殊加工など、糸にまつわる幅広い仕事を手がけるにしき染色株式会社。染め屋の視点から糸偏業界を俯瞰する3代目 日置顕三さんの話に、大きく頷くメンバーがいた。西馬良樹さん、丹後織物工業組合中央加工場で精練・整理加工を行う職人だ。技術的な内容から将来を見据えた改革まで、生の情報が行き交った時間。

左:にしき染色株式会社3代目 日置顕三さん
右:ひらく織メンバー 西馬良樹さん

「うちで染めた糸を西陣で織っている所は1割で、丹後を含めて6割。他産地も合わせて10割になる。他産地の業者さんに“いつもの”と言ってもらえる関係を目指しているよ」。顕三さんが率いる職人集団は、この道50年のベテランが5人、40代の中堅が15名と層が厚い。70代の引退を念頭に、20年ほど前から設備投資と人材育成を積み上げてきた。中央加工場の人員不足に悩む良樹さんが採用について尋ねると「染めがしたい人はたくさんいるから、倍率は10倍くらい」。ものづくりの現場に携わるやりがいと、他の業種と比較して平均値の給与に納得できるかのバランスが肝になる。ちなみに、音楽をしていて野球型の人が向いているらしい。根性があって自分のポジションからチームに貢献するプロフェッショナルさが合うのだそう。音楽の経験がある人は色合わせが上手い、とも。

奥に続く工場

色合わせについて、にしき染色が堅実に守るルールがある。それは、必ず複数で色を見るということ。データをもとにしても、厳密に同じ色に染めるのは極めて難しい。加えて1人で完結する仕事は「これでいいか」と甘くなりがちなところを引き締め、天気や体調によっても見え方が変わる色の精度を引き上げる。普段は的確に色を合わせてくる職人の色が変わったとき、実は風邪をひいていたなんてことがあった。「機屋も色の見極めがうまいところが残ってるよ。この商品にはこれ、という明確な答えを持っている」。にしき染色には50年来の付き合いがある帯屋が5軒。その色を、その製品を見たい。答えのない色の世界を見極める感覚はどうやって育てるのだろう。

作業場は迷路のように二階にも続く

西陣や丹後で行われる「綛染」は、世界的にも珍しくなりつつあるらしい。ゆったりとした束の状態で染めるため色の持ちがよいが、近年はチーズ染色*12など効率のよい方法が主流になっている。絹糸へのこだわりも「一昔前までは“春繭がいい”とか“必ず乾繭(かんけん)して”と言われてきたのに、最近は聞かなくなって」と嘆く。「乾繭」とは、生繭を熱処理により乾燥させること。できたての繭は餅のようにプヨプヨしていて、すぐに糸を引くとささくれなどが出来やすく「ケバる」などと言っていた。時代が移ろい、求められることも変わっていく。

 

工夫と切磋琢磨の重なりから色を生み出すにしき染色。日本一の染色工場を目指して、今日も色と向き合っている。

綛の状態で天井にかけられた絹糸
*12 糸を円筒状に巻き取った状態で染色する方法。その形がナチュラルチーズに似ている

記事 原田美帆/ 写真 黒田光力、松本潤也

株式会社細尾

にしき染色株式会社

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