京都・西陣編Vol.2
織物を紐解く 株式会社龍村光峯
古代織物の復原と研究を核とする工房は、その建物自体も宮大工の技術を集めて作られている。吹き抜けの上に見える大きな梁にしっとりした風情のある土壁。美術作品として制作された織物がひときわ輝いて見えた。
龍村光峯4代目 龍村周(あまね)さんの案内で地下へと進む。箱庭から差し込む光に照らされた3枚の古代裂は、三代織物美術家龍村光峯さんの工房設立から生まれた。初代龍村平蔵の意志を受け継ぎ、数多くの名物裂を復原した二代龍村平蔵(号・光翔)は、象形文字も解読したという。
奈良時代、757年の聖武天皇一周忌斎会を飾った倭錦「緑地花鳥獣文錦(みどりじかちょうじゅうもんきん)」の意匠は、いま見てもそれは見事なものだった。赤い唐花を中心に狛犬や水鳥をシンメトリーに配置した構図で、それぞれのモチーフや線が相まって全体として大きなエネルギーの波動を表しているようにも見える。平安時代の裂と推定される「赤地花菱襷状鳥花文錦(あかじはなびしたすきじょうちょうかもんきん)」はお経を包む「経帙(きょうちつ)」の縁裂として使われていた。「中国・ウルムチから出土した布とそっくりで、交流があったのかなと思えますよね」。室町時代の作とされる「赤地牡丹唐草文錦(あかじぼたんからくさもんきん)」には、ところどころ「おかしい組織」があったそうだ。経糸と緯糸の規則的な交差が乱れて、今なら「織り傷」と言われてしまいそうだが、一生懸命つじつまを合わせている職人の姿を想像して思わずほころぶ。最新の分析機が示すさまざまなデータからも「職人はその時々の感性でものを作っていたんだなということが分かって、やはりと思いました。復原には一つの正解がないので職人の感性が求められます」。
古代裂の復原は、意匠の再現だけではない。わずかな切れ端からでも染料や織り方を分析し、できるかぎり当時のままの状況を機の上に作り出すことだ。そのために機そのものを一から作り、付随する道具や装置も全て研究し、それぞれの職人へと仕事を渡すことで伝統工芸を未来へ継承する。「杼」ひとつにも赤樫の木を加工する職人の仕事があり、糸が通る穴には清水焼が使われ、その他の部品を作る職人がいる。全ての仕事なくして龍村光峯の織物は生まれない。復原された高機にかけられた経糸は、撚りのかかっていない扁平糸。細い糸を織り上げた布を手にして、その薄さと軽さに驚く。華やかな織物になんとなく想像する重たさと、まるで違った。「十二単も本当はもっと軽かったのかもしれませんね」。
龍村光峯では、復原事業のほかに緞帳やホテル、迎賓館などに設える織物作品から、帯や袱紗などの和装関連商品、力織機を使ったネクタイやポーチまで幅広く製作している。これまでは職人を束ねるディレクターの立ち位置だったが、周さんは自身でも高機で作品を織り海外のアートフェアにも出展。現代の人々が求め始めている「ものづくりのルーツ」を研究しながら、「いま」を織っている。
技術が切り拓く伝統 有限会社西村商店
淡い水色が潤んだなかに、金の雨が降り注いだような一枚の絵。次に現れたのは新緑と光が風に揺れる瞬間。黒と紫の渦が深淵へと誘い込み、鮮やかなブルーが宇宙へと誘う。有限会社西村商店3代目 西村直樹さんが描く抽象画は、幅45センチ長さ60センチの和紙の上に広がっていた。
和紙は、ここから「切り屋」で約0.3ミリの細さに裁断され糸になり、機屋がそれを1本ずつ引き込んで織り上げる。「引箔」と呼ばれる技法で、西陣織550年の歴史の間に発達した。数世代前までは金銀箔を一面に貼り付けたような金無地箔に加え、刷毛ムラや擦り箔などの模様箔、銀箔の上に赤・緑・青・黄 で円を描いた「五色箔(ごしきばく)」が主流だった。そこから現在に到るまで「引箔」は急激な進化を遂げている。
現代人が見慣れた柄の一つに、「砂子」がある。名前の通り、砂を撒いたような柄になっていて、下地の色が見え隠れする。「砂子柄は、昔の人がもう一世代前の箔が落ちてきた風合いを再現しようとして生まれました」。一つの技法が更なる応用とバリエーションを生む。「これは水金砂子と言います。こちらは、刷毛ムラと砂子を組み合わせたもの。箔をミキサーにかけて溶剤で溶かした“ムラ箔”はラメのように奥行きのある感じになります。エイジングと言って、わざと年月が経ったような質感を作ることも」。
シワ感が柔らかな印象を与える「揉み箔」はその名の通り和紙を揉んで質感をつける。けれど、真新しい紙のようにしか見えない。揉んだ後にアイロンを当て、水に濡らして板に貼って乾かすと真っ直ぐになるそうだ。銀を加熱すると色が変わる「硫化」現象を応用した「焼箔」は、茶席の侘び寂びそのもの。「染料では出せない色ですし、日本の美しさを表すのに欠かせない色だと思います」。しかし製造段階で硫黄を使うため匂い問題があり、生産の担い手は最後の一軒になってしまった。銀が青色に変化するまで焼いた「青貝」、赤色に変化するまで焼いた「赤貝」に、プラチナのような白になった銀箔…先人たちが編み出した数々の技が美を生み出す。昔ながらの素材に加え、ラッカー塗料やウレタン樹脂という化学技術も伝統の美に貢献している。
かつて10人以上の職人が働いていたという工房に、1人で立つ直樹さん。「小さな頃から家業を継ぐと言って、職人さんに囲まれて育ちました。帯屋での修行から戻ると父親1人になっていて」。そこから10年、機屋からの注文も「見本はいいし、任せるわ」と言われるまでに腕を磨いた。色糸を数色持ってきて「これとこれのムラを作ってきて」というオーダーに対しても、刷毛ムラにするか、ハタキで描くか、硬い方がいいのか、柔らかい方がいいのか…機屋の求めるところに着地させる関係を築いている。
「引箔を織り込んだ帯は、こうなります」。きらびやかな箔は、図案の背景部分でそっと揺らめいていた。バックスクリーンに使われることが多いと説明され、主役のモチーフではないことに驚く。一歩控えた佇まいが直樹さんの人柄にも重なって見える。2年前、西陣織を支える箔と職人は、新しい世界に踏み出した。友人を訪ねたフランスに表具屋とコラボレーションをした小さな衝立を持って行ったのだ。「いいけれど、もっとできそうやなぁと言われて。持って行く武器が少なかったなと」。帰国後、それまで生活のために続けていた副業をやめる。その時間を新しい製品開発に使ったほうがいいと、箔の可能性に気がついたのだ。イタリア料理店のプレートや皮のアクセサリー、香港のデザイナーとコラボレーションしたスピーカー等。踏み出した世界で、箔は主役の輝きを放っている。
西陣に生まれた共同体 いとへんuniverse
「“手織りの活動に足りないもの”のことを考えていたのです」。いとへんuniverse代表 大江史郎さんにグループ設立の経緯を尋ねた。 「西陣絣を次世代に繋ぎ、手織りの良さを伝える」をコンセプトに織人、絣加工師、工芸分筆家、染色作家の4人が活動する同団体。ひらく織と出発も目的も違うけれど、グループでの活動の意義や行き先を聞いてみたかった。
史郎さんは元バンドマン。ファンの一人だったデザイン事務所の社長に誘われてグラフィックデザイナーを7年勤め「なんとなく面白みに欠けてきて」、家業の絣加工に入る。父方も母方も絣加工を手がけてきた、生粋の絣家系の生まれだった。西陣絣は経糸に絣染めを施した絹織物。大きな色面構成や大胆な意匠はデザイン性が高く、絣と聞いて思い浮かぶ素朴なイメージとは異なる。経糸を整経した後に「括り」、染工場が染めて戻ってきた糸を「解いて」、設計に合わせて経糸の柄をずらす「柄合わせ」を行う一連の工程が「絣加工」だ。4年が過ぎた頃、絣は好きだけれど最終製品を手がけられないこともあって、機屋へと転換。さらに休日には友人づてに場所を借り、織機2台を運び入れて帯や着尺を織る日々が始まった。8年ほどの間に、ショールなどの小物にも展開し、SNSを通じて注文も増えた。一人では生産が追いつかないと人に手伝ってもらうようになって出会ったのが、現在副代表の絣加工師 葛西郁子さん。
郁子さんは京都市立芸術大学大学院で染織専攻を修了し、非常勤講師を続けていた。その間に「師匠」である絣加工師徳永弘さんに出会い、西陣織とその手仕事の美しさに惚れ込んでいた。高齢の職人が7人しかいないという現状に「それならば、私がやります!」と手を挙げ1年の修業を得て、独立。その転機に居合わせた史郎さんは、自らは織屋を選んだからこそ驚きが大きかった。
その少し前、工芸文筆家の白須美紀さんとも出会い、3人でいとへんuniverseの活動を小さく始めたところだった。「本当にやるの?」は「すげーな!」になり、いとへんuniverseの活動コンセプトも「西陣絣と手織」に焦点を絞った。程なく染色作家の岡部陽子さんも加入し、結成1年後には工房設立や手機導入のためにクラウドファンディングに挑戦。そこから飛躍的に繋がりが増え、建築家、デザイナー、学生などコンセプトに共感した人が集まりスタンスを確立させてきた。現在は多彩なメンバーが商品開発からワークショップ、展示会まで幅広く活動している。
かつて着物がたくさん売れた時代、大量生産のアンチテーゼのように手織作家の着物が注目された。「もはや大量生産が立ち行かない時代に、作家の立ち位置も変化が求められています。個人で行うことの意味はどこにあるのか、その打開策として“補完し合えるグループ”を作ってみようと思ったのです」。頼り合う関係ではなく、個人が独立しつつ一人ではできない規模の取り組みを行う団体。着物業界の隆盛を研究してきた史郎さん曰く、「何か」を盛り上げるための企画は昭和の頃にやり尽くされている。着物を購入したらエジプト旅行がついてくるようなびっくり企画など、現代のイベントやキャンペーンよりも突き抜けたことがなされていた。まだ試されていないかたちを探して、「いとへんuniverse」は生まれた。
今後は個々の活動がクローズアップされるよう力を伸ばし、オリジナル製品を増やして収益をあげ、法人化して雇用を生むところまでたどり着きたいと目標を定めている。西陣の路地に灯った小さな火が、いとへんを照らしている。やがて西陣絣の灯台になる日がくるだろう。
丹後のもつ技術の価値を、西陣編で出会った多くの人から賞賛された。ひらく織メンバーは驚きと謙遜を隠せなかった。私たちは、丹後産地のもつ可能性をまだ一端しか知らないのだろう。
記事 原田美帆 / 写真 高岡徹、松本潤也
今井信一
今回西陣の視察は、僕にとても刺激を与えてくれた。同業者である整経工場を見学し、どんな課題を抱えているのかということを知る事ができ、うちと違う所なども見ることができた。染色の現場を見ることができなかったのは残念だったが、工程の説明が聞けたことはとても勉強になった。世界を相手に仕事をされている方の話はとても魅力的で、やはり広い視野をもって様々なことに挑戦していくことは、今後、この業界をさらに発展させていくうえで必要なことだと思った。
小池聖也
織物の可能性を広げる面白くとても勉強となる話が聞けて良かった。若い方が活躍されていて良い刺激を受けた。
堀井健司
僕自信は初めての西陣訪問だったが、西陣の織物の歴史、高い技術、そしてそれを支える職人に触れることができ、是非また訪れたい産地だと思った。