YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

福岡•筑前/筑後×博多織/久留米絣

筑前・筑後編Vol.1

福岡市及びその近郊にて生産される絹織物「博多織」。その歴史は770年前にまでさかのぼる。幕府に献上したことから「献上柄」の名がついた「独鈷(どっこ)華皿文様」は博多織を代表する縞柄で、真言宗の法具をモチーフにした紋様と親子を表現した縞が配置されている。太めの緯糸に対して極細の経糸を高密度で打ち込むことで現れるたて畝を地織に、紋様を表現した経糸が加わって艶が浮かぶ。地厚で弾力性に富んだ織物は、帯を締めるとキュッと絹鳴りの音がするという。

博多織人を目指して 株式会社黒木織物

初めて本州を飛び出したひらく織。博多で最初に訪れた機屋で出迎えてくれたのは、見慣れた織機と耳馴染みのある機音だった。丹後の機屋や職人の名前も聞こえて、すっかり安心した一同。株式会社黒木織物三代目 黒木和幸さんは、呉服チェーン店の主催するものづくりの交流会を通じて丹後の機屋とすでに関係を築いていた。

 

日が差し込む真新しいショールームには、献上柄やストライプに唐草紋様を配したもの、更紗をベースに考案した柄からアニマルモチーフまで、様々な意匠の帯が並んでいる。その殆どを和幸さん自身がデザインしたと言い、何冊もの図案ファイルに収められた手描きのスケッチを見せてくれた。「自社のプロパー商品*1を作るために図案が必要になって。自分で書くと、作りたい製品に合わせて図案を考えるので無駄がないのです」。

株式会社黒木織物 黒木和幸さん

自社製品への展開は10年前。黒木織物が製品の9割を卸していた問屋の倒産が始まりだった。博多の大きな問屋は他に二つあったが、「厳しい条件を言われることが目に見えていたので」博多産地以外の問屋、東京や西陣の小売店、全国に店舗を持つ呉服屋、着付け教室への直接取引に舵を切った。しかし、遠方の取引先を訪ねて門前払いされたり、倒産の経緯を引き合いに値下げ交渉をされるなど一筋縄ではいかない。和幸さんは10年踏ん張って、取引先を10倍に増やした。「プロパー製品には在庫リスクがあります。けれど、優良在庫がないと商売にならない。プロパーが売れ始めると別注が入り出すのです」。直接取引を通して得たユーザーからの意見や要望を自社ブランド「博多織人(はかたおりじん)」にフィードバックし、数多くの製品を生み出し続けている。

小ロット多品種の製品を支えるのは一貫生産体制。糸を仕入れてから製織まで、染色以外は自社で行う。「元々の産地の規模も大きくなかったですし、小さくなるのも早かったので基本的には一貫生産のところが多いんですよ」。データ制作、整経、製織、検反まで行う社屋を見せてもらい、さらに若手の職人が多いことに驚く。入社のきっかけを尋ねると「伝統産業に携わりたかった」という答えが何名からも聞こえた。今回の旅で幾度となく聞くことになる言葉。この産地は強い。

機場に並ぶ津田駒製シャットル織機、長い間丁*2、聞き覚えのある回転数…ここは丹後の機場かと錯覚しそうになる。北陸機械工業株式会社製シャットル織機、通称ホッキも並んでいた。打ち込みの多い織物に適したシャットル織機で、丹後の機屋でも見かけることがある。同じ織機を使いながら丹後では見られない光景は、ビーム*3の数だろう。4つや5つに分けられた経糸は、地組織*4や柄、絡み織*5、耳*6などそれぞれに適したテンションに調整するためビームの数が増える。縞柄縦柄を特徴とするから、その数は必然的に多くなる。加えて、経糸の色合わせは一度整経をすると変えることができないため非常に難しいという。緯糸による柄表現であれば、同じ経糸でも管に巻く糸を変えて色の調整が可能だ。それでもロスは発生するが、経糸の柄表現は配色がうまくいかないと丸ごとロスになってしまう。

糸から販売まで、ものづくりからユーザーまで。黒木織物が貫く柱は太く、まっすぐだった。「昔はメーカー小売希望価格の設定さえ非難されました。あっちではいくらで販売されていて、こっちではいくら。じゃあ一体いくらの商品なの?これでは誰も幸せになれない」。織物を未来へつなぐため、黒木織物はまっすぐに進む。

*1 自社で上代を設定し、定価販売できる商品
*2 ビームから経糸を操作する綜絖(そうこう)までの部分、またその機構
*3 芯棒や緒巻きともいう、整経した経糸を巻いた芯棒
*4 織物のベースとなる組織。絵柄を表現する組織はこの上に重ねられる
*5 通常は経糸と緯糸を交互に打ち込む織物を、わざと経糸をよじれさせ、その隙間に緯糸を入れることで薄くても糸が偏らない構造にした織物
*6織物のよこ方向の縁の部分のこと

新しい価値を織る 株式会社サヌイ織物

「うちは帯を織らない織元です」。株式会社サヌイ織物三代目 讃井勝彦さんの一言に、サヌイ織物の歩みが凝縮されていた。工場に併設する博多織工芸館には、博多織による緞帳やカーシート、アスリートにかけるメダルリボン、郷土芸能「仁和加(にわか)」をモチーフにしたポーチなどが展示されている。一度締めると緩まないと言われる博多織の帯。細番手高密度が生み出す特徴を生かした製品として、博多織といえば帯というのが定説のはず…

株式会社サヌイ織物 讃井勝彦さん

しかし、全国の織物産地がピークを迎える昭和50年代を前に、先代の勝美さんは「問屋支配の構造が面白くない」と帯の製造を止める。手織りの職人だった父が急逝し、25歳で家業を継承して2年目の決断だった。テーブルランナーや掛け軸など、少しずつ企画製品を増やして事業を拡大。そして40歳を前に福岡県庁に飾られるタペストリーを手がけるという一大プロジェクトに挑戦する。納期が1年もない中で幅2.5メートルの織機を2台特注し、京都・西陣から綴れ織の職人を招聘。完成間近には職人が急逝するという苦しい状況に追い込まれながらも、納品にこぎつけた。

現在は革新織機でも博多織を生産している

先代のタペストリーに次ぐ勝彦さんの挑戦はカーシートに使われる織物の開発だった。先染めの絹糸という博多織の特徴を手放し、研究と試験を重ねて、モーターショーで発表し一躍注目を集める。その耐久性を応用し、カバンや靴などへも商品を展開させた。さらに、国際会議場やホテルに使われる壁紙から福岡近郊の社寺で授与される御守り袋まで、サヌイ織物は規模の大小を問わず「博多織でつくるべきもの」を見定めて提案している。商社やゼネコンに任せておけば数字だけをみた設計になってしまうところに、地場産業という価値を加える手腕は真似できるものではない。

「仁和加(にわか)」を織柄に

工場には織機の他に、何台もの工業用ミシンやレーザーカッターまで備えていた。ストラップからカバン、ネクタイ、タペストリーなど数えきれない商品を前に「プロパー商品は約130種類くらいあります。色違いも含めると1,000種類以上になるから在庫調整も大変。ボタンや金具の仕入れも大量になるので、数を作らないとモノにならないのです」。なんと、小物の縫製も全て内製化されている。サヌイ織物の一貫生産は、ここまでやりきっていた。

 

「博多織とは何なのか」。新しいものをつくることは、定義からの逸脱ではなく、その定義すらも更新していくことだと讃井親子の挑戦は伝えている。

1000年の物語を紡ぐ 株式会社岡野

銀座シックスに旗艦店を構える織元 株式会社岡野。五代目 岡野博一さんは大学卒業後数年で人材コンサルティング会社を創業した経営センスの持ち主。家業継承は26歳のとき。皇室に献上するほどの技術を持ちながらも13年連続で赤字が続いていた中、「経済と文化の両立を果たせるのは自分にしかできない」と再生の役割を引き受け、黒字化させた。家業のみに止まらず、オール・ジャパンの染織技を1000年先に継承するため「日本発の世界ブランドをつくり、伝統を世界に伝える」と企業理念を掲げている。博一さんにとって、東京進出はステップの一部にすぎない。

 

「岡野(社長)は何年も先の世界を見ている人なので、そこと現在を積み上げてつなげるのがスタッフの役割なんです」。機場を案内してくれたのは阿比留哲也さん。博多織の世界に入って24年目、現場を取りまとめる工場部長だ。博多織工業組合青年部で出会った博一さんと意気投合し、当時勤めていた機屋から岡野に移ってきた。

株式会社岡野製造部部長 阿比留哲也さん

前職では意匠部で活躍していた哲也さんに任されたのは現場の統括。つまり、織り手の指導から織機調整、準備工程の管理から糸の仕入れまで生産にまつわる全てだった。「最初の1〜2年は必死で勉強しました。ベテランの職人は説明が上手というタイプではないですし」。そこかしこに、改革の跡が見える。進捗が一目で分かるホワイトボードや道具、材料の棚に記された一言メモ、何と言ってもチリ一つ落ちていない機場…!絹糸は長繊維のため埃が出にくく、丹後の機場もきれいだというのは他産地を回るようになって知ったこと。だが、ここまで綺麗な機場は見たことがない。「経が上がったら、コンプレッサーで全て掃除します。そこから経つなぎに入る。先染め製品だから他の色糸の混入を避けたくて」。

意匠部では70歳前後のベテランが3人と、新卒2人を合わせたチームが図案作成からデータ設計までを手がけている。製織現場で袋帯を担当するのは30台半ばの女性、手機によるスペシャルエディションの帯を作っているのは50歳前の女性だという。ベテランから中堅と若手まで安定感のあるスタッフ構成がまばゆい。そして、哲也さんを含め7名の伝統工芸士が在籍しているという技術力の高さが光っている。

岡野の製品は技を尽くした皇室献上の帯、ルーブル美術館の企画展に出展した織物、日本最古の禅寺 聖福寺へ奉納した袈裟、アーティストとコラボレーションしたスカーフ、モダンな帯や着尺と幅がひろい。そして一つ一つの製品に語られる物語があり、紋様や色が意味を持っている。例えば「AT777」というストール。献上柄に込められた厄除・浄化・繁栄などの縁起願い、五色献上という色が示す五徳(仁・義・礼・智・信)をビジネスシーンにもマッチするデザインに仕上げている。タイトルは、博多織777周年を祝した柄と製品開発に尽力した職人の頭文字をとって名付けられた。古来より祈りや願いが込められてきた織物は、現代人が求める物語性に合致しているのだ。博一さんはグランドデザインやコンセプトを描き、職人の技と美意識がそれを叶える。両者のコンビネーションが、はっきりと見てとれた。

 

1897年の創業から始まった株式会社岡野は、職人技から生まれる感動を世界に発信する。日本文化が内包する調和と多様性が、やがて世界のありようさえも変えると信じて。

黒木和幸さんに讃井勝彦さん、岡野博一さん。三人とも丹後産地とつながり、機料品の手配や準備工程でも行き来がある。だからこそ、若手を応援したいという温かさが伝わってきた。先代との関係など、ひらく織メンバーが抱える悩みもかつての自分に重ねて、答えてくれた。博多の旅は、久留米絣編へと続く。

 

記事 原田美帆 /写真 今井裕二、徳澤千夏

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