YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

愛知・岐阜/尾州×毛織物

尾州編Vol.2

2018年、私たちは尾州にあるテキスタイルマテリアルセンター(通称マテセン)とヤーンフェアを回り10万点の生地サンプルと豊富な糸素材に触れた。2019年、今度は機音を求めて再び木曽川を渡る。この川がもたらす柔らかな水と豊かな土壌が糸の原料となる麻・桑・綿花を育て、産地の原型を作った。明治時代になると毛織物の研究と生産が盛んになり、現在では国内の毛織物シェア8割を占める。服地のアパレル、カーテンや壁紙のインテリア製品、カーシートなどの工業資材までさまざまな製品をカバーし、紡績・撚糸・染色・製織・修整・整理加工など約200の関連企業が集う。職人の高齢化や海外との競争に危機感を抱き、1984年には公益財団法人一宮地場産業ファッションデザインセンターという団体が設立された。産地の振興と発展のためヤーンフェア開催、幅広い研修やものづくり支援制度を継続している。産地の状況はこの1~2年でさらに厳しくなったというが、若い就職希望者も現れ始めた。産地継続の道筋を探して回った2日間。

光の道が紡ぐ未来 東和毛織株式会社

最初に訪れたのはウールや獣毛から糸を製造する東和毛織株式会社。戦前までは毛布の製織を行っていたが現在は梳毛紡績に特化している。ひらく織チームにとって未知の素材と工程を、三代目 渡邉文雄さんと五代目 渡邉淳一郎さんがナビゲートしてくれた。

東和毛織株式会社 五代目 渡邉淳一郎さんと三代目 渡邉文雄さん

世界には約3000種の羊が生息していると言われ、その土地の気候風土の特色が太さや弾力、光沢、断熱性などになって糸に現れる。東和毛織の仕事はオーストラリア、ニュージーランドをはじめ、イギリス、フランス、アルゼンチン、ウルグアイの羊毛、モヘア、カシミアなど世界中から原料を仕入れるところから始まる。コンテナで運ばれてきた羊毛や獣毛は「ベール」と呼ばれる形状にまとめられ、カチコチに圧縮されていた。その中には40個の「トップ」が入っている。刈り取った毛から不純物を取り除き石鹸で洗ったものを、1本1本の繊維にほぐしてロープ状の「スライバー」にする。スライバーをまとめて10キロの塊にしたものが「トップ」だ。つまり、ベールは400キロの原毛の塊なのだ。ここまでの作業は海外の工場で行われる。

巨大な毛糸玉のような形をしたトップから、再度短い繊維や不純物を取り除く。その後、スライバーを8本ずつ束ねて少しずつ細く引き伸ばす「ドラフト」を行い、異なる素材や色目のトップを規定の混率に調合する。この工程全体を「ギル」と呼び、個体差のある天然素材を均一な状態にするため何度も繰り返し行われる。赤いドラム缶に詰まったスライバーはふわふわのマシュマロのよう。

長い繊維を梳()いていく方法を「梳毛(そもう)」、反対に短い繊維を紡いでいく方法を「紡毛」と言う。東和毛織は梳毛を専門とし、アルパカ梳毛は国内トップシェアを誇る。

繊維形状が長いアルパカやモヘアには高い紡績技術が必要とされるが、それを可能にするのが「英式紡績機」だ。「国内では、うちともう一社くらいしか使っていない絶滅危惧種のような設備です。けれど繊維に負担をかけず質の良い糸を作れ、小ロット生産に向いています」。話を聞いているうちに、なんだかシャットル織機のような存在だと思えてきた。効率のよい製造方法ではないけれど、極上の風合いを作り出すことのできる機械なのだ。スライバーに少しずつ撚りをかけて引き伸ばしていく方法で、極限まで引き伸ばされた繊維が整理加工によってクリンプ(もともとの繊維の縮れ)が復元し嵩高(かさだか)性のある糸に仕上がる。絹の強撚糸が丹後ちりめんシボを生み出すように、糸の加工が織物の風合いを大きく変える。

英式紡績機

かつて世界中で使われていた英式紡績機は、現在では生産効率の良い「仏式紡績機」に変わられた。スライバーに撚りを加えず、ローラーやゴムベルトを使用して安定した紡績を行う。しかし、仏式も常に人の手を欠かすことができない。紡績中の糸はどうしても「切れる」という現象が発生する。その箇所を発見してつなぐのは人の手。発見しやすいように光を当てられた糸が並ぶ中を人差し指をかざして歩き続け、切れている箇所を発見したら素早く撚りつける。紡績機が回り続ける限り、ずっとだ。

仏式紡績機

品質と効率のバランスを取りながら、二つの紡績機を組み合わせて使用することもある。意匠紡績機も使い、ループ(輪)のある糸や柔らかい編み糸も作る。そうして出来上がる糸は新潟や山形のニット産地向けが全体の生産量の6割、織物用の糸が3割、手編み糸のOEM生産が1割ほどになる。

 

「日本に梳毛工場はもう少ないんですよ。うちの設備も最新のものではないけれど需要も落ちているからバランスが取れている」。淡々と現実を語る淳一郎さん。自社のものづくりを「昔は地味だと思っていたけれど、実際に入ってみると川上産業の方が面白い」と捉えている。織物を構成する糸。この技術と生産基地が産地内にあるという価値は、これからさらに大きくなるだろう。

ションヘル織機に宿るもの
葛利毛織工業株式会社

葛利毛織工業株式会社は、人を惹きつける。上質な毛織物には皇室のデザイナーや国内外のビッグメゾンからのオファーが止まない。職人になりたいと尋ねる若者も途切れることがない。「いつか止めようと思っていた気持ちを“やっぱりやろう”と切り替えた時から、流れが変わりました」。四代目 葛谷聰さんが家業に入った頃は百貨店のプレタポルテのスーツ地を生産していた。周辺の機屋は革新織機を導入して生産効率をあげるなか、昭和7年に設置した「ションヘル織機」での生産を続ける家業は「時代遅れの設備に新たな投資も厳しい。潰れない程度の低空飛行をしているような状態で、いつか自然に止めたかった」ものだった。

葛利毛織工業株式会社 四代目 葛谷聰さん

しかし、ジェトロ(日本貿易振興機構)主催の商談会に参加した日に、葛利毛織工業の運命が変わる。とある海外メゾンのバイヤーが葛利毛織工業の生地を見て、思わず他のバイヤーを呼びつけた。「おい!この生地を見てみろ」。80年前から使い続けるションヘル織機の風合いは、海外ではほとんど見かけられないものになっていた。経糸と緯糸が空気を含むようにゆったり交差する構造はシャトル式ならでは。柔らかい手触り、立体的な膨らみ、シワになりにくい弾性回復率…そこにはスーツ地の求める品質が揃っていた。かつてイギリスで発明されたシャトル式織機がドイツへと渡り、ションヘル社が開発した「ションヘル織機」。葛利毛織工業で稼働しているのはさらに改良が施された日本製だ。英国式のしっかりとしたものづくりが踏襲された毛織物は再発見され、時代遅れだと思っていた設備はかけがえのない宝になった。

工場に並ぶションヘル織機

11台のションヘル織機は全てドビー式。6枚から最大24枚の「綜絖(そうこう)」が経糸を操り、複雑な組織も織り上げられる仕組みになっている。綜絖の上下運動の指示はパンチカードや金属棒など様々な方法があるが、ここでは「コマ」と「カラー」という部品の組み合わせで行われている。織機の側面には一つのモーターで二つのギアが回転していて、右側のベアリングが経糸の動きを制御する。「コマ」がかかると綜絖が上がり、「カラー」の時は下がる。左側のベアリングはどの杼箱のシャトル(緯糸)を織り込むかを指示している。コマとカラーのアナログな並び替えは、専門家を必要とせず工夫を重ねられる。生地設計を物理的にダイレクトに操ることができる。「だから80年間続けられたし、これからも使っていくことができます」。

コマとカラーの動きがダイレクトに見える

葛利毛織工業が手がける織物は一枚ごとに設計図を書き起こし、求められる風合いや色を作り出していく。組織図の設定に基づいて綜絖の枚数も決まるため、「綜絖通し」や「筬通し」という作業も製品ごとに必要になる。丹後では経糸の本数や綜絖は変えずにジャカード装置による組織変化や緯糸の種類を変えて製品展開をすることが多い。織りあがった経糸と次に使う経糸を結ぶ「経つなぎ」という工程はいるが、綜絖と筬を通し直すことは少ないため「こんなに手間のかかることを毎回…」と呆然と見つめるひらく織チーム。「やってみますか」と声をかけられ、黙々と作業を進めていた職人に手ほどきをしてもらう。作業自体はシンプルなものだが、間違いのないよう高速で行うには高い集中力と相当な根気が求められる。綜絖通しに4日、筬入れに1日。これが日常ですから、と聰さん。

筬通し

機場を見回せば、スタッフの年齢層は若手からベテランまで見事なグラデーションを描いている。20代が4名、30代と40代が各1名、50代が2名に60〜80代で総勢18名。求人をしなくても働きたいとやって来るのだという。「もともと僕はそんなにやる気がある方じゃなかったんです。けれど、僕よりやる気がある人が来るので止められなくなりました」。若い働き手は羨ましいが、定着率には不安がある。その点を尋ねると「成長とともに次の場所に進みたくなる人も出てくる。その人を良い状態で送り出すと、ときどき整経を手伝ってくれたりするんです。若い人は仕事もシェアをして、一つの場所に囲わないことが大切になってくるんじゃないでしょうか」。

 

ションヘル織機は糸に負荷をかけない。聰さんは職人に負荷をかけない。手間とひまと忍耐を積み上げて生まれる柔らかな風合いと気風に、人が惹きつけられる。織物は、人そのものだ

産地を超えた挑戦 みづほ興業株式会社

尾州産地の染色整理加工を支えて68年。みづほ興業株式会社は織りあがった反物の油脂や汚れを落として染めを施し、豊かな風合いと各種機能性加工を付加する工場だ。現在は二代目 水谷常夫さんが社長を務め、二人の後継者 水谷吉孝さんと水谷光孝さんがそれぞれ整理加工部門とインパナ事業部を統率している。

みづほ興業株式会社 二代目 水谷常夫さん、水谷吉孝さん、水谷光孝さん

25年以上も前、通商産業省主導の集まりで他産地と交流を持った常夫さんは「尾州は産地内で縦横の繋がりがあっていいですね」と言われたことに危機感を覚えた。産地内でものづくりが完結できないところが増えてきている、尾州もいずれそうなると予感したのだ。機屋が細くなれば染工場も細くなる構造を見直し、自立化を目指して2004年に「インパナ事業部」を立ち上げる。聞きなれない言葉だが、それも常夫さんの狙いだった。

 

1970年代、イタリアの毛織物産地プラトーで生まれた「インパナトーレ」は糸の仕入れから製織・整理加工・縫製までを一手に担うコーディネーターとして、工場とアパレルの橋渡しを担っていた。「“テキスタイル事業部”では覚えてもらえないかもしれないでしょう。産地を超えた製品企画事業を始めて、桐生、西脇、北陸産地の機屋と協働しています」。数字は大きくないけれど、今後ますます助け合いをしないと生き残れない。生き残れなくなってからでは、足掻くこともできないという言葉は、ひらく織の考えとも重なる。

インパナ事業部が企画した織物が並ぶ

若い後継者に恵まれて独自の加工技術も持つみづほ興業だが、2000年代に入ると経営の危機にも直面した。専門家からの経営指導やリストラの実施による苦境を乗り越えて黒字体制への復活を遂げている。そこから10年。整理加工部門のトップを務める吉孝さんは新しい加工機を求めてイタリアへ飛んだ。大量の湯水と熱がかかる加工機械はどうしても痛みや消耗を避けられないが、国内の加工機メーカーは縮小を続ける業界に後ろ向きで図面も見積もりも届かなかった。5日間で14 工場を回り、新しい風合い加工機の導入を決定。どの工場も毛織物を扱っているのに埃がなくきれいな環境だった。イタリアの職人が、自社工場で高級品を手がけていることに誇りを持っている姿が印象に残っていると話してくれた。

大型の機械が並ぶ工場

工場に並ぶ反物は婦人コート地が多く、泉州、知多、新潟からの仕事も増えているという。自らは織機を持たず材料の段取りをして出機に外注する「テーブル機屋」という形態があり、そこから他産地の機屋にコート地の生産が回っているのだそう。最初に見せてもらったウールを洗う機械には直径90センチはあろう丸太がローラーとして使われていた。「天然木は仕上がりがふんわりするけれど、もう入手が難しくて。去年もう一つの機械はゴム製に変えましたけれど、イタリアの工場でもやはり木がいいと話していて。今後入手するとしたらアフリカ産材ですね」。一同、ひたすら驚いてしまった。機械という響きからスイッチ一つで自動的に作業してくれる設備を連想しがちだが、人が手をかける技術や天然素材へのこだわりが随所に盛り込まれていた。

丸太が組み込まれた加工機

みづほ興業が開発した「リ・ボーン加工」は加工剤をホイップクリーム状にして生地表面を加工することで、素材の持つ柔らかさや透湿性を保持したまま片面に撥水や張り感の付与、皮革のような表情変化をつけることができる。従来は浴槽で生地全体に浸透させていたため、両面に同じ加工が付加された。片面だと加工剤の量も抑えられるし前後の工程も合わせて環境負荷を軽減させられる。原料を天然素材に置き換えた加工も開発し、世界で標準になりつつあるサスティナブル(持続可能性)とエシカル(社会倫理)への取り組みも始めていた。

「ちりめんとはお付き合いがないので、ウール産地との可能性を探れたらと思っているんです」。インパナ事業部を取りまとめる光孝さんからパスが出された。「丹後は小幅なので…」という返答を常夫さんが遮る。「どうやったら出来るかだよ」。お互いが得意とする素材と加工方法を掛け合わせたら、何が生まれるだろうか。私たちの目指すことが、ここでもいつか実るかもしれない。

羊毛から糸へ。糸から織物になり、仕上げと染色を経て製品になる。毛織物の辿る道を追いかけた1日目。絹糸が生まれる製糸場も見るべきなのだろう。未来を見るほどに足元のルーツを見つめなくてはいけないと教えられた。

 

記事 原田美帆 / 写真 高岡徹、黒田光力

東和毛織株式会社

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