YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

京都•与謝野×丹後ちりめん/絹織物

丹後編Vol.4

産地を支える

20193月、丹後産地の一翼を担う3つの場所を訪れた。機屋が織り上げた生地の精練を行う「丹後織物工業組合 加工場」、研究と技術支援を行う「京都府織物・機械金属振興センター」、職人を養成する「与謝野町織物技能訓練センター」。ひらく織メンバーも常に世話になっているが、業務で携わる以外の側面を知らないことも少なくない。産地を支える機関と人を、ひらく。

産地の要 丹後織物工業組合加工場

現在、丹後で精練を行うのは丹後織物工業組合と私企業が一つ。平成の大合併前、各旧町に加工場や出張所が置かれていたが時代とともに減少し、跡地は福祉施設などになっている。物悲しい産地あるある。

 

丹後で「精練」と言うと「セリシンという絹の表面にある膠質や脂肪、汚れを石鹸液などの薬品を加え、煮沸して取り除き、生地の幅や長さを指定された規格に仕上げる加工」を総称して使われている。1日約1000反の精練を行う丹後織物工業組合加工場では特殊加工や染色も行っているが、まずは基本となる精練の工程を追いかけた。

蒸気の立ち上る工場

入荷した反物には、束札(そくふだ)と呼ばれる機屋が加工内容を記したタグが付けられている。入荷年月日を組み合わせた番号を捺印し、床一面に整列させた風景の何とコンパクトで可愛らしいことか。他産地の加工場を訪れるようになって、和装産地に求められる独特の細やかさと精度が見えてきた。

「丹後は昔から、無地、紋、夏物、襦袢、帯揚げ、半衿、先染め、帯とあらゆる製品を作っているため、さまざまな練りが必要になります」。ひらく織メンバーでもある西馬良樹さんは、入社12年にして全ての工程を管轄するまでに成長した精練職人。

丹後織物工業組合加工場 西馬良樹さん

ここで言う「練り」とは、純粋な「精練」工程を指している。本来は湯を沸かして石鹸アルカリ法で絹のセリシンや不純物を取り除く部分が「精練」なのだ。彼ともう1人の職人しかできない工程が「釜割」。製品によって異なる精練時間や薬品の指定と指示を行い反物を分類する作業のことを「寄せていく」と表現していた。全ての製品と何百通りにもなる精練方法が頭に入っていないとできない。小ロット多品種化は精練方法にも反映され、産地全体の製品数の増加は「釜割」を複雑化させている。一度に同じ釜に入れる反物は40反か80反。機屋からの預かりものである反物を無駄なく効率よく精練するために、的確な判断が求められる。定番の製品であっても「あ、これは少し打ち込んであるな」と持ち上げた瞬間に分かり、精練時間を長めに設定することもあるそうだ。

 

反物を解く「解反(かいたん)」も製品によって機械で行燈(あんどん)巻きにするものと、手作業で行うものに分けられる。この機械は生糸の状態で織りあげた生機に合わせて設定されているため、先染め製品や夏物は通すことができない。

解反(かいたん)作業

精練釜にかける棒に吊り下げるための紐を通し、製品によっては水中で生地がめくれ上がるのを防ぐために下側にも糸を縫い付け重りを下げて安定させる。水圧で蛇腹に畳んだ生地の端が潰れないようパイプを通すものもある。製品によって時間も工程数も異なるが、およそ8時間をかけて荒練り、本練り、漂白、仕上げの4段階の精練を行う。工程間は全て水洗いを挟む。一日の水量は約400トン、隣を流れる竹野川から取水しフィルターを通して使用する。水道水は含まれる薬品が影響するため使えない。

精練作業

精練が完了すると、水分を均等に乾燥させる真空脱水を通して、無地ちりめんなら「ループ乾燥機」へ、生地のシボを生かしたまま干して乾かす。繻子織(しゅすおり)や紋意匠ちりめんなどシワが入ると取りにくいものはドラムで挟みアイロンを当てながら干す「シリンダー乾燥機」へ。指定幅に仕上げるため「クリップテンター」にかけて、4~5回に分けて少しずつ幅を出していく。同様に長さも揃える。

クリップテンター作業

目視による検査を合格したものは、シワ取り・つや出し等の機械を通して完成。機屋の指定で、たたみ仕立てか巻仕立てを行い、合格印や目方を証明するスタンプを押して、畳紙(たとうし)で包む。この姿!まだ作業の間であるにもかかわらず、きちんと畳紙で包むところに、丹後ちりめんへの誇りと愛を感じずにはいられない。

硫黄の匂いと水蒸気がたちこめ、真冬でも水仕事が続き心身ともにタフさが求められる。施設の老朽化に将来の職人養成と課題も少なくない。けれど、西馬良樹さんは言う。「産地に精練工場がなくなったら、機屋もやがて操業をやめて産地自体がなくなってしまう。後継者を育ててこの産地を守らないと、と思っている」。機屋と運命共同体にある加工場。若き精練職人が、産地を支えている。

産地と技術を育てる
京都府織物・機械金属振興センター

ここは丹後中の機屋が世話になっている施設。技術向上の相談に始まり、持ち込まれた織物の分解と設計図作成、100年以上前の日本やヨーロッパの生地が閲覧できたり、織傷の原因を探ったりといった支援が受けられる京都府の公設試験研究機関だ。

JIS規格に則った試験室では、室温20度、湿度65%の環境下で糸のねじり強さ、曲げ強さ、反発力などの消費性能試験が可能。百貨店などで求められる性能試験や証明の取得も行える。

そして、ひらく織メンバーもほぼ全員が世話になった数々の講習制度。織機調整や、紋紙作成、製織基礎など様々なコースが開催され、数ヶ月から長いもので半年に渡って勉強することができる。家業に戻った後継者層が最初の数年にかけて通っている場所なのだ。例年、受講生は400名を越えるという。いま、世界の舞台で注目を浴びる丹後の機屋たちの跳躍もここから生まれた。

京都府織物・機械金属振興センター 徳本幸紘さん

「成功も失敗もありましたが、自分で開発もブランディングもやる人が前に出てきたと思います」。徳本幸紘さんは、ひらく織にも加わる技術者。14年の勤務の間に、多くの機屋と製品を見てきた。本庁に異動したときには西陣の機屋調査を行い、改めて丹後の技術レベルの高さを認識する。丹後を外から知る機会にもなったのだと言う。「丹後が得意とする絹と撚糸には、素材としての可能性がありまくります」。その目が見出した結論に追いつこうと、研究開発に没頭する熱い人だ。大阪府出身、京都工芸繊維大学で繊維を学び公務員職を求めての就職で移住。いつの間にか、丹後とちりめんに魅了されていた。

幸紘さんが開発した生地 その1

彼が一番面白いと感じているのが「撚糸」。丹後ちりめんのシボを生み出す古来からの技術に、まだまだ試せることがあるのだ。通常のちりめんでは緯糸のみに撚糸を用いるが、経緯共に強撚糸にしたり、綿や麻などの異素材に強撚をかけたり。一部にセリシン定着加工*1を施しジョーゼット*2とオーガンジー*3が組み合わさった生地や、撚る代わりに限界まで伸ばした糸がクリスタルのような硬質な光を放つ生地。いくつもの試験反を見て触るうちに、感覚が冴えていくのが分かる。経験したことのない肌触りに身体が反応しているような、未知の感触に驚いているような。目を閉じて素っ裸になって全身にまといたいと思ってしまう、極上の風合いがあった。八丁撚糸機*4を使った開発は丹後のほかにできるところはない。ここだけが持つ、究極の可能性なのかもしれない。

幸紘さんが開発した生地 その2

年間の開発ペースは3050種くらいで、製品化まで至るのは約半数。その素材として用意してある撚糸の種類はざっと140種類!壁一面に、撚り回数や素材の異なる撚糸がストックされている。年度始めにまとめて用意して、パレットから絵の具を選ぶように撚糸を選ぶ。

壁一面の撚糸ストック

開発した生地はギフトショーなどに出展し、反応のあった素材や流行を機屋に知らせる。もし製造したいという声が挙がれば、織機のこしらえから設計図まで情報提供し技術支援も惜しまない。「機屋は夢ばかり追えないし、自由なことばかりではない。だから研究機関が産地に還元できることがあると思うのです」。機屋と一心同体の研究機関が、産地に火を灯す。

幸紘さんとセンターの技術者たち
*1 絹糸のタンパク質セリシンを樹脂によって固定する加工。セリシンが除去されることで撚糸が撚りを戻しシボが現れる現象をわざと止めている
*2 クレープとも呼ばれる。経緯ともに強撚糸を使い、縦横ともにシボを出した織物
*3 薄く透けた、張り感のある織物
*4 江戸時代に発案された糸に撚りをかける機械。一本の紐で個々の紡錘と八丁(大きな回転車)が結ばれた構造になっている

織り手と未来を育む
与謝野町織物技能訓練センター

与謝野町には、二人の指導者がいる。尾関正巳さんと茂籠龍一郎さん。正巳さんは力織機の、龍一郎さんは手機の織り手を織物技能訓練センターで育てている。

茂籠龍一郎さん(左)と尾関正巳さん

同施設は昭和48年に旧野田川町に開所され、「技術向上と新作開発」の拠点として現在まで織物産業の発展に貢献してきた。織り手の養成を本格的に開始したのは平成26年から。「織物のスペシャリストである尾関さんに、基礎からきっちりと仕込んでもらいたい」という機屋の要望から始まった。5年で16事業者の織り手42名を育て上げ、時々「家庭訪問」と言って教え子がちゃんと仕事ができているか見て回る、心優しい先生だ。

ちりめんや金襴*5を製造する親機の家に生まれ、家業を継ぐ。大学を卒業して京都府織物指導所(現 京都府織物・機械金属振興センター)に学び、働きながら織機調整1級技能士*6の資格も取得。整経から機織りまで一通りの技術を磨いた。しかし阪神淡路大震災の影響は当時の織物業界を直撃し、家業をたたむ決断を余儀なくされた。その後、親戚の機場に入り定年まで勤め上げる。「まだ働こうと思ってハローワークに行ったら、この仕事を紹介されたんや。機屋にこだわっていたわけではないけれど」。これは、与謝野町の機屋にとって幸運すぎる出来事だった。それまでの織物技能訓練センターは織機調整を行う「機直し」を主に行っていたが、正巳さんが指導員となったことで訓練所としての機能が本格的に回り出したのだ。「家の機場で整経も機織りもあらゆる工程をやってきたから、間に合ったんかな」。間に合うとは、対応できるという意味で正巳さんがよく使う言葉。「講習をやり始めて、生きがいになってると気が付いたなあ。若い人が伸びていくのを見るのは面白いんや」。

センターには機拵え*7の異なる津田駒製シャットル織機が5台、レピアが1台の計6台が並び、さまざまな織物に対応している。機拵えは機屋によっても独自の工夫がなされていて全く同じものというわけにはいかないが、なるべく近いもの、また違うものを触って知識に幅を持たせることができる。「すごく分かりやすく教えてくれる。難しいことを、やってみろと挑戦させてくれる」指導が評判となり、織り手を預ける事業者は年々増加。糸を触ったこともない素人を現場で即戦力になるレベルまでわずか1ヶ月で指導してしまう正巳さん。織り手に向くのは「手先が器用で糸の扱いがうまい人」だと教えてくれたが、そうでない人もきっちり仕上げてくれる。

ひらく織メンバーの原田美帆も正巳さんの教え子

現在では、製品や織機のトラブル相談から「近くに来たから挨拶に」までを含めて年間800人が訪れる機屋の拠り所でもある。この場所を支えるもう一人の指導者が茂籠龍一郎さんだ。つづれ織り*8の名人として京都府伝統産業優秀技術者「京の名工」に認定された腕の持ち主であり、その人柄を慕う声を丹後のあちこちから耳にする。「もう60年もやっとるでな」というその歩みを教えてもらった。中学卒業後に西陣の機屋に勤め、整経から製織まで一通りの仕事を身につける。20代で丹後に戻ってからは紋図描きを5年、力織機による機織りを5年続けていた。だが、「どうも性分に合わない気がして。でも知り合いが手機をしているのを見たら面白そうで自分でもやり出したんや。最初は西陣の機屋に教えてもらったけれど、あとは独学やなあ。つづれ織は難しいけれど、面白い。昭和46年、32歳の時から生業として手機による機織りを始める。それから時が経つこと48年。80歳となった今でも、「これは茂籠さんにしか織れないから」と老舗の織元からの依頼があるのだという。

龍一郎さんの手がける打掛

龍一郎さんは、一時期丹後中に60件もの出機*9を抱えるほど、手機を産業として成立させていた。親機としての技術指導はもちろん、問屋からの仕事が少なくなった時も織り手に賃金が払えるよう駆け回ってきた。当時は京都市内の機屋も丹後半島に出機を持っていたが「仕事がないときにはごそっと引いていってしまうんや。だから、うちにも仕事がないかを尋ねる電話がかかってきてな」。優しく誠実な人柄が、手機産業を支えていた。しかしバブル崩壊後、輸入の安価な製品に押されて手機の価値が見失われ「仕事がなくなって織り手が次々と減っていったんや」。けれど、この技術には価値がある。龍一郎さんは自ら後継者育成に手を挙げ、20年以上も携わってきた。「ずっと親機として教えてきたから性分やと思うとる。手機が広がるなら何でも教えたる」。その知識と経験は、データにも紙の上にも残していない。「ここだけや」と龍一郎さんは頭を指差して笑った。手機を次世代へ。平成30年から新たに設置された職人養成講座にはこれまで3名が受講している。

手機の並ぶ一角

尾関正巳さんと茂籠龍一郎さん。織物の酸いも甘いも経験してきた職人たちが産地の背中を押している。「織物はもうダメだ」。時々は皮肉をうそぶきながら、ひとりひとり着実に。「“羅(ら)*10”と“ビロード”を織ってみたいんや。誰もが織れへんもんを」「ちいとま織り続けたいと思うけどな」。創作意欲も未だ衰えぬ二人は私たちに言う。「誰も織ってくれる人がいないものを織れ」。

*5 和紙に漆を塗って金箔を貼り付け糸状に裁断した引箔や、金糸を織り込んだ豪華絢爛な織物
*6 国家資格である技能検定制度の一種。平成12年に廃止された
*7 織物に紋様を表現するための、たて糸の上げ方を制御する仕掛けの総称。
*8 経糸の数倍の密度にした緯糸が経糸を包み込むように織る、経糸が見えなくなるほど緻密な織物
*9 糸と図案データ等を渡して織り上げてもらう協力関係にある機場のこと
*10 薄く透き通った織物の一種

記事 原田美帆 / 写真 松本潤也

京都府織物・機械金属振興センター

丹後織物工業組合

京都•与謝野×丹後ちりめん/絹織物

お問い合わせ

お気軽にお問い合わせください。

与謝野町の織りに興味のある方

与謝野町の織りに興味のある方

産地視察希望の方

産地視察希望の方

与謝野町産業観光課
TEL : 0772-43-9012

与謝野町について知りたい方

与謝野町について知りたい方

丹後ちりめん・丹後織物に興味のある方

丹後ちりめん・丹後織物に興味のある方

与謝野町産業観光課

ぜひ交流しましょう

TEL : 0772-43-9012

お気軽にお電話ください