YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

愛媛×蚕種/製糸

愛媛編Vol.2

絹織物は、蚕が作った繭から取り出される「生糸」を原料に作られる。明治から昭和初期にかけて、製糸工場は貴重な外貨獲得の手段として日本の成長を支えた。現在も地図記号に残る「桑」の木のマークは、かつては多くの土地で桑を育て養蚕を行なっていたことを伝えてくれる。しかし、現在は国産生糸の流通量は生糸全体の1パーセントに満たない。西日本で唯一稼働を続ける製糸工場は愛媛県にある。

 

「生糸」とそれを生み出す「蚕」を知る旅へ。美しい山々に囲まれた静かな町と瀬戸内海に面した港町を駆け巡った。

蚕の生まれる場所 愛媛蚕種株式会社

薄い紙の上に転がる焦げ茶色の粒。初めて見たなら、蚕の卵だと分からないだろう。その姿が植物の種に似ていることから、「蚕種(さんしゅ)」と呼ばれている。

 

1グラムで1600から1700(りゅう)くらいありますよ」。きんと冷え込んだ冷蔵室で、愛媛蚕種株式会社5代目 兵頭眞通さんが教えてくれた。

愛媛蚕種株式会社5代目 兵頭眞通さん

蚕の卵は25℃の状態に13〜15日置くことで孵化するため、出荷のタイミングに合わせて冷蔵状態で保管しているのだ。室温は2.5℃で、1年ほど保存できるという。「今では卵より幼虫の出荷が増えています。蚕のタンパク質を使った薬や新しい用途に向けた開発が進められているので、期待していますよ。可能性があることには協力したいですね」。小中学生の自由研究でも人気があるらしい。冷蔵庫は、山の急斜面を利用して地中に作られている。昭和33年に電気が通るまでは氷を運び込んで室温を保っていたのだ。

 

今では人工飼料を使って年間を通した養蚕が可能になっているが、ひと昔前までは桑の葉のできる春と秋に行われる仕事だった。もちろん、現在でも桑の葉を使った養蚕は各地で継続されている。

愛媛蚕種の敷地には、養蚕のための大きな建物がある。大正時代に作られたままの建築は平成11年に国の有形文化財に指定された。室内は燦々と日光が差し込んで明るい。防火用赤レンガの壁を通り抜けながら、ここが人と蚕でいっぱいだったころの風景を想像してみる。

氷で冷やされた貯蔵室から運ばれてきた蚕種が、自然光を浴びて幼虫へと育っていく。全部で36もある蚕室 (さんしつ)からは桑の葉を食べる音が聞こえ、屋上では蚕が繭を作るときに使われる藁まぶしが乾かされている…。

40年前には季節になると300人以上が働きに来ていた。「蚕種の会社は戦前には全国に2~300社はあったんじゃないかな。戦後は各都道府県に1社ぐらいになって、今は4軒だよ」。

 

現在、蚕の飼育は他の場所で行われていて直接見ることはできなかった。蚕の飼育には気温と湿度の管理が大切だが、最も気をつけているのは「目に見えない病原菌」とのことだった。通常の養蚕であれば、繭を作るところまでで終了となる。繭を食いちぎって出てきてしまわないように、加熱や冷蔵によって蚕の命を止めてしまう。絹糸は、蚕の命そのものなのだ。

蚕室 (さんしつ)にかけられた木札 第八号室

ここでは、次の養蚕のため蛾になって出てくると、すぐに雄と雌を交尾させて卵を産ませる。1匹の蛾が産む卵の数はおよそ500(りゅう)。「蛹の状態の時に卵は出来ているので、繭になるまでの飼育が肝心。欲しい品種を作るために、いくつかの品種を掛け合わせて卵を作ります」。愛媛蚕種が保有している品種は約20種、そのうち一般的に多く用いられるものは「春嶺×鐘月(しゅんれい×しょうげつ)」と「錦秋×鐘和(きんしゅう×しょうわ)」という品種とのこと。他には「あけぼの」や「小石丸」も量は少ないが注文があるという。そうして採取した種を冷蔵庫に保管し、次の養蚕開始を待つ。

蚕種は、人間が蚕を家畜化した何千年も前から受け継がれてきた技術だ。愛媛蚕種は1884年に創業し、136年間も蚕種製造を続けてきた。一粒の命が糸を吐き、いくつもの工程を経て織物になる。かつては一大繊維産業として栄えた場所から、未来の新技術が生まれるかもしれない。ここで紡いだ蚕の命が、人の命を救う薬になるかもしれない。蚕種はいつでも始まりの場所だ。

繭から織物へ 野村シルク博物館

冷蔵室に入ると、独特の匂いに包まれた。積み上げられたコンテナの中には、真白な繭がたくさん。この匂いは、繭の中で眠る蛹のものなのだ。蚕種の始まりも製糸の始まりも冷蔵室。命を扱っていると、改めて意識させられる。

案内をしてくれたのは西予市役所農業水産課の那須重昭さん。この地方には古くから製糸の歴史があり、「続日本書紀」にも「伊豫(いよ)生糸」の記述がある。四国山脈から良質な水がもたらされる河川周辺には肥沃な桑園が広がり、険しい山々に囲まれた中山間部でも桑栽培が可能だった。

西予市役所農業水産課 那須重昭さん

良質な桑は良質な繭を育む元となる。養蚕と製糸は、江戸時代には奢侈禁止令により一旦姿を消したが、明治時代に入ると輸出品として隆盛を極める。1929年頃には養蚕農家は1883戸あり、県内には3つの製糸工場が操業していた。やがて生活様式の変化や安価な輸入生糸が登場し、生糸価格の暴落により1994年に全ての製糸工場が閉鎖されてしまった。現在も生産を続ける養蚕農家は5戸。その全てを買取り製糸しているのが「野村シルク博物館」、西予市の施設だ。1994年に開館してから「伊予生糸」の製造、染織講座の開催、博物館の運営を行っている。

野村町絹織物館

伊予生糸の製造にはいくつかの特徴がある。その一つが「生繰り法」で、一般的には「乾繭(かんけん)」と言って加熱乾燥された繭を使うのに対して、冷蔵保存された繭を使う。熱と乾燥によるダメージを受けていない繭から引いた糸は、ひときわ白く輝くという。次に、複数の繭から一度に糸を引く「多条操糸機」を使うこと。糸繰りの動作そのものは機械が行うが、太さを確認しながら繭をセットし、切れた糸を繋ぐのは繰糸工を務める井関奈央さん。たった一人の職人だ。あらかじめ茹でられた繭から糸口を出し、次々と繰り出される糸を見つめる。

井関奈央さん

水の上に回転する繭は、やがて透明な膜となり中に眠る蛹が姿を現わす。繰り上げた糸を巻き取るボビンの速度は分間100回転ほどで、通常は約300回転という速度と比べてとてもゆっくりしている。そのため、蚕がS字状に吐いて作った糸のうねりが残り、嵩高でふんわりした質感になる。

蚕の飼育は5月半ばくらいに始まり、春に2回、夏、初秋、晩秋、晩々秋と年6回行われるが、特に人気があるのが「春繭」で、伊勢神宮の式年遷宮で用いられ御神宝に使われている。他にも西陣の機屋から春繭の指定が入るそうだ。年間で1.2トンの繭から250キロの生糸を生産しているが、その約半量が春繭というほど人気がある。「伊予の春繭で織り上げた帯は柔らかさが違う」とうたわれる品質だが、生産状況は厳しい。壁にかけられた生糸は、丹後で目にする綛の状態になっていた。細い糸が束になり、眩いばかりに光っていた。

日の当たる部屋には、手機が何台も並んでいる。美しい紫色の布を織っていた女性に話を聞いてみた。ここで開かれる染織講座に参加するため、東京から移住してきたということだった。「あまり情報がなかったのですが、卒業生のブログを見つけて。糸のことを知らなかったので、糸作りからしたくて」。繭からの糸作り、染色、手機について1年間を通して学べる講座には、これまで国内各地から述べ249名の参加がある。月々15,000円の講習料のほか生活費などは実費でかかるが、毎年参加者があるそうだ。

製糸も講座も、行政による運営だから成り立つという状況にあった。全てのことが民間企業で賄われるのは難しいだろう。けれど、発展させる鍵はきっとどこかにある。この数年で、養蚕農家への若手就農者も誕生した。体験講座の価値は、途絶えぬ受講生が証明している。蚕業を、文化を繋ぐために何ができるだろうか。

 

与謝野町も2016年から養蚕の取り組みを始めた。ものづくりのルーツを持つ場所に、拓ける道があるはずだ。

 

記事 原田美帆 / 写真 松本潤也

今井信一

今回の視察で学んだことは、織物業界でも環境に配慮したり、食品と同じぐらいの安全な品質が必要になってくるということだった。将来的には、赤ちゃんが食べても大丈夫なタオルを作ることを目指されていることや、製造工場では風力発電が使用されていることを聞き、想像を超えた視点に驚いた。また、僕たちの仕事の根源となる蚕種製造の現場を見ることができたのは、本当に勉強になった。今回お会いした方のひとりは、大変な苦労を乗り越えてきた中で、今があるというお話をされていた。その話を聞き、自身を振り返ってみると、自分は仕事に対して本当に真剣にやってきているだろうかということを自問した視察だった。

梅田幸輔

自分達がごく当たり前に使っている1枚1枚のタオルに物凄いこだわりと生産者さんの思いそして使命感がつまっているのだと感じた。もちろん、今治も丹後や他の産地と同様に生産は縮小し高齢化は進んでいるのだが、その中でもあらゆる製品を開発して問屋をはさまず少しでも消費者に近いところで商品を買ってもらえるよう奮闘されている若い方々の力を見て、たいへん感銘を受けた。また、今回は織りだけではなく、蚕から実際に私達の現場に届くまで、生糸がどのような工程で製造されているのかを見学させてもらったり、その蚕の卵の生産現場に行かせてもらったりと、自分達がごく当たり前に何気なくつかっている原料のルーツを知ることができた。

羽賀信彦

今治タオルの品質を守る高い技術や新しい発想での商品開発は見習うところが多くありました。また、西日本唯一の製糸工場で多条繰糸機を見れたことや蚕種の現状を知ることができ非常に勉強になりました。

堀井 健司

今回今治で訪問させていただいた企業はそれぞれが独自のスタイルを持っておられ、自社の強みを最大限に生かそうとされていたことがとても魅力的でした。また、私自身初めて操糸、蚕種と見させていただいてシルクがどうやってできているのか知れて大変勉強になりました。

愛媛蚕種株式会社

野村シルク博物館

愛媛×蚕種/製糸

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