YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

岡山、広島・備中備後×デニム・帆布・縫製

備中備後編Vol.1

岡山県西部と広島県東部にまたがる備中備後(びっちゅうびんご)地域には、繊維の一大産地として紡績、染色、機織り、裁断、縫製、加工、仕上げまで、あらゆる事業者が集う。

 

産地の歴史は江戸時代に遡る。時の藩主によって綿花の栽培が奨励され、機織りが盛んになり、藍染めの仕事も生まれた。明治時代になると備中小倉や備後絣が考え出された。備中小倉は縦うねのある厚手の綿織物で、デニムのように耐久性の強い織物だ。備後絣は久留米絣、伊予絣と並ぶ日本三大絣と呼ばれるまでに発展し、産地の工業化を押し進めていった。

時代とともに絣から帆布やデニムへと代表的な製品が移り変わり、現代ではその高い技術力で国内外のアパレルメーカーやデザイナーを支えている。

 

時代と共にデニムを織る
猪原織物有限会社

「4月から夏頃が一番悪かったでしょうか。それ以降は反動もあるし、海外市場から回復してきていますよ」。2021年の春、コロナ禍にありながら猪原織物有限会社4代目猪原竜史さんの表情は淡々としていた。創業117年の厚みが、その背中を支えているのだろう。猪原織物のウェブサイトには、日露戦争と太平洋戦争に翻弄されながらも工場を守り抜いた先代達の姿が丁寧に綴られていた。

猪原織物有限会社4代目 猪原竜史さん

猪原織物では定番デニムから変わり織りまで、先染織物を中心に企画・製造している。ラックにはパンツ向けの厚手の生地、シャツに良さそうな薄手の生地、ヘリンボーンの地模様がユニークな生地など多様なサンプルが並んでいた。問屋との仕事を柱にしながら、昔から付き合いのあるアパレルとは直接取引も行い、一部は自社オリジナルの生地も製造している。「デニム生地は一度企画すると20~30年と製造が続くものもあり、息の長い定番が多いです。それを在庫しない程度に生産し続ける、バランスが難しいですね」。

エアージェット織機、レピア織機、シャットル織機を合わせて40台を備える工場は、備中産地では最も小規模だと言う。昭和40年代までは中堅だったが、小さいところから廃業して一番小さい規模になったということだった。「だからこそ、情報発信に力を入れています」。竜史さんは、その理由を人材獲得のためと教えてくれた。

 

織物製造には人の手がかかる。動力織機と聞くと、さも全てが自動化されたようなイメージを持つかもしれない。しかし、旧式であればあるほど機械そのものの世話がかかる。糸が切れたら結び、部品や糸を補充するといった仕事が常にあるのだ。

「若い人と繊維業界の接点が少なくなって、募集をかけてもどんな仕事かイメージされにくい。きちんと理解してもらうために、発信に力を入れるようになりました」。工場ではウェブサイトを見て入社した20代、30代の若手から40代、60代のベテランまで広い世代の職人が織機に向かっていた。男女比は約半々だ。「若手では女性の方が多いでしょうか。辛抱強く仕事を覚えてくれる人が多くて、本当に助けられています。猪原織物の稼働時間は朝8時から定時は5時までだが、業界の最大手では24時間体制で700名ほどの従業員が交代制というところもあるらしい。うちは小規模、という話に納得する。

 

「織機の調子が悪い時はどうしていますか」。ひらく織の訪問で必ず尋ねる質問だ。竜史さんは「なるべく自分たちで修理するようにしています」と答えた。デニムは太い糸を打ち込むため、織機に負荷がかかりやすい。そのために1日に何度も調子が悪くなることもある。「ずっと順調に動き続けているということなんてほとんどないですよ」。これにはメンバーも驚いた。自分たちで直せない場合はメーカーに修理を依頼することになるため、費用もかさむ。やむなく修理を頼む場合は、その様子を観察して覚えていくそうだ。

轟音が響く工場は、インディゴに染まっていた。壁、織機、職人の手。先代から受け継いだ工場をどうやって守っていくのかという命題は、ひらく織メンバー達も背負っている。「続けるからには、怯んでいてはいけない。できることは全部しますよ」。竜史さんの言葉は、短く、力強かった。

機音のひびく研究所 立花テキスタイル研究所

研究所と聞いて思い浮かぶのは、大学、行政、企業などが運営するものだろうか。立花テキスタイル研究所は、一体何を研究しているのだろう。訪問前に閲覧したウェブサイトには「帆布の原料となる綿花から自分たちで育て、染めや加工の原料は地域で不要とされているものから見つけ出して、ものづくりを行っている」場所であることが書かれていた。

「尾道には、戦前には2種類の帆布がありました。瀬戸内海は北前船が航行するには浅かったので、北前船に出入りするための小さな船が活躍していました。その船の帆布は綿と麻で織られていました。もう一つは“家船”という船の上で生活する風習があり、その船のため。こちらは綿100%の帆布でした」。代表取締役の新里カオリさんが、尾道帆布のルーツを紐解いて話してくれた。造船業が盛んになると、安全具として帆布が生産されるようになる。脚絆、エプロン、頭巾などだ。厚手の帆布は表面温度が低く、耐火性もある。「この歴史からも分かるように、帆布は消耗品として生産されてきました。布そのものの文化的価値や独自性は長いこと見出されなかったんですね」。

代表取締役 新里カオリさん

「帆布工場を案内してくれた人がカバンを作りたいということで、デザインを起こし、染めや縫製を手配して少しずつ作り始めました」。売上を貯金し、商店街に店舗を構え、NPOを設立するまでに至った。東京から尾道に通い続けて10年、カオリさんの活動は更にここから加速する。地域の人たちが楽しそうに活動する姿を見て「あとはもう地域の人たちで続けてもらったらいいな」と自分自身がやりたい方向性へと舵を切り、立花テキスタイル研究所を設立。地場産業を生かした、土からのモノづくりをスタートさせた。

 

「どの綿花なら日本の国土と相性がいいのか、一つひとつ試していきました。自分たちだけでの栽培は限界があるので、協力者に種を送って育ててもらい、採れた綿花から織り上げた布と物々交換するシステムも考えて。多いときで400世帯くらいに協力してもらいました。柑橘類の栽培が体力的に厳しくなった農家さんにも依頼しましたよ」。カオリさんの研究は、綿花にとどまらない。

栽培した綿花から織り上げたカバン

草木染めでは400種類ものサンプルを作り、繊維製品の検査を行う一般財団法人カケンテストセンターに400件の分析を依頼し、堅牢度のテストを確かめ、裏付けのあるデータを作成した。来る日も来る日もスタッフと染めに明け暮れたという。「みんな染めオタクなので、止まらなくなってしまうんです」。

さらに草木染めに止まらず、造船業で生まれる鉄粉を使用したプリントも編み出した。なるべく近い地域にあるもの、環境負荷の少ないもの、不要とされているもの…自らに設けた厳しい基準と制約には、近年叫ばれているSDGsなど軽々しく聞こえてしまうほどに、確固たる信念が貫かれていた。

 

「うちで調べたデータは貸し出しもしています。経産省のサポートを受けた事業ですし、ゴミを減らしたいから。鉄粉プリントも特許などは取らずに紹介しています」。しっかりと積み重ねられたデータには、企業からの相談や依頼も多い。カオリさんは色や堅牢度だけではなく、薬効成分などのアドバイスも行っているという。ここは、まさしく研究所だ。情念と理論と実践が一体となった研究所なのだ。

鉄粉プリントの施された製品とタグ

その研究は、最早ものづくりにとどまらない。学生を尾道に招聘するアーティスト・イン・レジデンスプログラムを企画し、町の人に寄付を募って10年に渡り運営した。「尾道に来る前、自分自身が作るものについて悩んでいた」という経験から「学生には人の声、社会の声を聞く経験が必要」と考えた。都会の価値観では測れない、この地域に生きる魅力も伝えたかった。地域側も、オープンな気質で受け入れをしてくれたのだという。現在ではインターンシップで訪ねてくる学生に暮らし方を含めたサポートを行い、知り合いの企業へ繋ぐ役割もしている。

 

一人の移住者が、ここまでのことを成し遂げるのだと驚きを隠せなかった。これから先に何を研究するのか、その動向に注目し続けたい。

 

記事 原田美帆 / 写真 黒田光力

拠点を構える織物工場の風景

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