YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

丹後編Vol.7

「独立創業」をひらく

丹後の機屋は、その多くが家業を引き継ぐかたちで織物を製造している。繊維業界が苦しい状態にある今日では、新規参入は希少な存在と言える織機や工場などの設備投資に対して、利益による回収が見込みにくいからだ。ひらく織をはじめた2017年には「これから新しく機屋を始める人なんていないだろう」と話すメンバーもいた。あれから4年が経ち、全国各地の産地で新しい事業が生まれる姿を見て私たちの認識も変わってきていた。そしてここ丹後でも、近年に事業を立ち上げた機屋の存在を知ったのだ。

サラリーマンから機屋へ 新しい道を歩む 絢和

「今日と明日がうまく繋がるためには、僕が機屋になるのがいいと思ったんです」。絢和(じゅんわ)を立ち上げた竿山幸司さんは、就職活動を通して呉服業界と出会った。京都市内でなんとなく参加したセミナーで「丹後生糸株式会社」を見つけ、ブースに立ち寄ったのがきっかけだった。学生時代にツーリングで度々丹後半島を訪れ、道中の丹後支社の看板に見覚えがあり親近感が湧いたのだという。もとは食品業界を志望していたのに、あれよという間に内定となり、1994年に入社。2015年に独立するまでの21年間、生産現場の管理を務めてきた。

絢和 竿山幸司さん

問屋などの得意先から注文を受け、機場に糸や紋紙を手配し、完成した反物を検反して納める。これが幸司さんの主な業務内容であり、独立した現在でも続けている仕事になる。「入社当時、営業の仕事といえば『京都市内の喫茶店へ行け』と言われる事もあった。室町*1には喫茶店がたくさんあって、必ず関係者がいる。そこで情報のやり取りをすることから仕事が生まれたんです」。丹後地域での原料生糸の営業では、高齢の上司から「囲碁、将棋はできる?」と聞かれたこともあったそうだ。商談相手がいわゆる「旦那衆」だった時代の名残だ。時代は移り、だんだんと「他社や商品の動向の情報」から「生地や紋様などモノづくりの話」がきちんとできる時間が増えるようになった。幸司さんは得意先と機場を丁寧につなぎ、信頼のおける仕事をしてきた。

仕上がった反物を検反する作業スペース

仕事のやりがいとは裏腹に、不況のあおりで会社の規模は縮小していく。そんな中「周りから独立したら」と声をかけられることもあったそうだ。「僕は天邪鬼なので、そう言われるとしたくなくって」。独立の背中を押したのは、幸司さんが担当していた生産部門の停止だった。会社は継続していくために組織や事業内容を見直していかなければならない。そのことは幸司さんも理解していた。だが、得意先には生地を納めて欲しいと言われ、出機には仕事を手配したいと悩み…さまざまな事柄を反芻するうち「僕が独立してやるのが、一番スムーズだと思って」絢和を創業した。「独立した時には、得意先はお前から買うよと言ってくれ、出機もついてきてくれました。生糸の仕入れも、勤めていた会社の時と同じ取引を約束してくれました」。これまでの信頼をベースに仕事をさせてくれるのは、分業制で人のつながりを大切にしてきた業界ならではと幸司さんは考えている。

コロナ禍の中で、幸司さんは与謝野町織物技能訓練センターで職人養成講座を受講し、機織りと機直しの技術を習得した。サラリーマン時代から「企業規模に関わらず最終的に自分でモノを作れるところが強い」と思っていたそうだ。「いずれ近い将来、機屋をたたむ」という高齢の機屋には「織機は廃棄しないで置いておいてよ。僕がいつか織るかもしれないから」と話してきたという。自身の年齢、現況を考えると新しく工場を建てることは大変だが、辞めていく人の機を借りるかたちなら可能性があると考えたのだ。

 

「学生時代、デザインや繊維のことを専門に勉強したことはありません。それでも、自分の考えたものがカタチとなって世に出ていくから面白い」。5年の間に染め屋との交流も増え、一部の自社生産の白生地を染色までとも模索中だ。従来なら、問屋を飛ばす行為としてタブーだったらしい。さらに幸司さんは続ける。「機を動かす技術があれば、身体が動く限り80歳になっても働ける。逆に言うと、80歳でも仕事のある産業も他にないと思いますよ」。

娘さんの成人式のため幸司さんが配色やボカシのデザインに参加した着物「ものづくりの一部を感じて欲しいと思って」

独立の時、遠い未来の展望が見えているわけではなかった。「いま目の前にあることに、前向きに悩んで進む」ことの積み重ねが、結果的にいまにつながる道を作ってきたのだ。これまでに築いた信頼関係が、新しい道を切り拓いていく鍵になると教えてくれた。

越境する機屋 DESIGN橡

民家の玄関をくぐると、そこには木製の手機が3台並んでいた。一見するとジャカードが乗った普通の小幅織機に見える。その電源をいれた瞬間、ひらく織メンバーに激震が走った。それまでテンションがかからず垂れていた経糸が一瞬でピンと張ったのだ。「えっ?どういうことですか?」聞かずにはいられなかった。

「ビームのところにモーターを取り付けて、開口に合わせてテンション調整をしている。伸び縮みのしない糸を扱うことが多いから、必要な機能なんだ」。さらっと説明してくれたのはDESIGN橡 豊島美喜也さん。経糸の張力調整は、革新織機であればイージングモーション機能などがついたものもあるが、手機で動きに合わせて調整する装置は、極めて珍しい。

 

「全部自分で作っているから、カスタムしやすいよ」。さらに続ける美喜也さん。ここにある織機も、2階に設置された広幅の手機も、横に並んだ整経機も、棟を移動して見せてくれたガラ紡*2の機械も、全て自作したというのだ。

周りを見渡すと、そこは家具工房とでも呼ぶべき空間だった。旋盤やボール盤などあらゆる木工機械や材木が並んでいる。私たちは機屋に来たのではなかったか。尾州産地にしか残っていないと思っていたガラ紡がなぜここにあるのか。なぜ渡り廊下に藍瓶があって、縁側には綿花が積まれているのか。あまりの展開に頭が追いついていかない。

DESIGN橡 豊島美喜也さん

「綿花は、綿織物のルーツを辿れば栽培からだと考えて育てました。ガラ紡があるから糸の太さ調整もできて製品化まで行なっています。ガラ紡は、ふわふわな糸が紡げるのがいいなと思って、所有している企業に見せてもらって作りました。藍は面白そうだなと思ったから…」。とんでもない開発品たちの生まれた背景を教えてくれた美喜也さんは、機屋であり、大工であり、建築デザイナーなのだ。

栽培された綿花
ガラ紡を動かして見せてくれる
藍瓶

出身は大阪、結婚を機に丹後に移住した。設計士として大阪との往復生活を送っていたが、工房に木工設備も構え、少しずつ丹後暮らしの比重が高くなった。奥様は手機で打掛などを手がけていた為、織機の修理などを手伝っていたそう。ちなみに奥様の実家はひらく織でも訪ねた田中金筬店*3だ。しかし、美喜也さんを一気に織物の世界に引き込んだのは一片の金網だった。「15年くらい前かな。金網屋の工場を設計していて、捨てられた金網にライトが当たってすごくきれいだったんだ」。医療用に使われる特殊なフィルターで、とても細いステンレスでできていた。それを建築に使えないかと思って、自作を始めたのだという。部品づくりから始め、中古の織機を組み立て直すこともあれば、一から作ることもあり、その全てが独学だった。

そこからわずか10年余り、DESIGN 橡のステンレス織物は世界のビッグメゾンの空間を飾るまでになった。手機から始めて、現在ではレピア織機で量産する体制を整えた。「織物は自分の思い通りにできるから面白い。思い通りにするためには悩むこともあるけれど。建築も施主と一緒に考えて作っていく過程が面白いんだ」。なんて純粋なんだろう。木工部屋は遊び場所だと笑う。「これが作りたくて、家具制作を始めたんだ」。そう言ってYチェアを見せてくれた。言わずと知れた名作チェア。そのすぐ横にはガラ紡。そこに詰まった綿は、種から育てられていて…。産業の分野なんて、美喜也さんには意味をなさない。デザイン橡の織りなす製品は、柔らかなキビソを使った布団の中綿、最先端のショップを彩るインテリア、種から一貫生産するコットンブランケットなど実に多様。

右下にYチェアが写っている

「いつでもおいで。ここにあるものを使えば、いろんなものが作れるよ」。織物にも人にも、ここには境界線などないのだ。

 

織物は、機屋は、こうあるべき。いつの間にか囚われていた概念を鮮やかに越えていく姿を見た。老舗の機屋ではないからこそ出来るアプローチ、その可能性は未知数だ。家業を引き継ぐ後継者たちへのヒントが、きっと潜んでいる。

 

記事 原田美帆 / 写真 黒田光力

 

*1 京都市にある地区の名称。和装生地の問屋や関連業が集まる集積地となっている。

*2 ガラ紡 明治6年に臥雲辰到(がうん ときむね)が発明した日本独自の紡績方法。ブリキで出来た筒に綿を詰め、上方向に引き上げながら手紡ぎの原理で糸に撚りをかける。詳しくはひらく織尾州編Vol.3を参照。

*3 ひらく織丹後編Vol.5参照。

DESIGN橡

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