YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

京都•与謝野×丹後ちりめん/絹織物

丹後編Vol.11

織機調整と技術指導編

日々、機械の音に注意深く耳を傾け、調子を確かめる。高速で動く織機の不調を目で捉えることは極めて難しいが、一定の音量とリズムを刻む機音は、わずかな変化でも気がつきやすい。「機屋は耳で織る」と言われるほど大切なことだ。

 

調子がおかしければ、メンテナンスや修理をする。古い設備が多く、気温や湿度の変化も糸に影響するため、一定の品質の織物を生産するために日々の調整が欠かせない。昨日は何ともなかったのに、今日は織物に傷が入るなんてことは日常茶飯事なのだ。どこに原因があるのか、どうやって直すのか。織機調整の技術とノウハウなしに機屋はできない。

 

丹後産地で織機調整と技術指導を担う二人の職人を訪ねた。

機屋の機直し 糸清

糸清3代目 糸井雅人さん

201911月、株式会社北機と株式会社エヌエスの自動織機10台、自動管巻機4台が並ぶ機場を訪れた。「自動織機」とは、管の糸が少なくなった時にシャットルを自動で交換する「シャットルチェンジ」装置がついたものを指す。開発初期の昭和40年代には織機が回転したままシャットルの交換が行われていたが、昭和50年代にブレーキモーターの導入により自動制御で織機を一旦止める「ストップチェンジ」が登場した。糸清にあるのはストップチェンジ式の自動織機だ。織機が回転したままだとチェンジミスでシャットルが挟まれて壊れるリスクがあったらしく、ストップチェンジはシャットルに優しく安全という意味で「ソフトチェンジ」とも呼ばれていた。

「自動管巻機」は福井のメーカーが製造したものだが、強撚糸は構造上絡まったりすることがあった。そこで、雅人さんはテンションという部品を丹後の池口製作所のものに改装。更に各錘のモーターにインバーターを取り付け、回転方向の切り替え、回転速度、スロースタートを簡単に設定可能にして様々な糸に対応出来る様にした。「日本でうちしか無い管巻機だよ」。

 

のっけから織機の話が止まらない。機織りと機直しの先輩職人を前に、あれもこれもと質問が飛び出す。同じ町内であっても地域によって得意とする製品が異なるため、ひらく織メンバーも初めて目にする拵えや装置がそこかしこにある。紋織物と無地織物では織機を止めておくときの綜絖*1の開口位置が違うというのは、面白い発見だった。紋織物ではジャカード装置で経糸を上げ下げしているため、夜間などはなるべく経糸に負担がかからないように開口を閉じた状態で止めておく。これが「経糸の口が閉じた」状態だ。そうしないと針にも糸にも負荷がかかった状態になってしまう。一方、ドビーやタペット装置のついた無地機では「口が開いた」状態で止めてあることも。織物の種類や地域性によるものなのか、機屋によっても止め方は異なるが糸清では口を開けておくということだった。「そうしないと次の日の取り付けがしんきい」。丹後の方言で、しんどい、やりづらいといった言葉だ。翌日の織り始めに「薄段」という密度のわずかなムラができやすいということだった。糸清のある岩滝地域の機屋は無地機が多く、風呂敷、半衿、帯揚げなどの和装小物とポリエステル縮緬などの製品を手がけているところが多い。

「今は岩滝の無地機を主に見ているけれど、依頼があれば他の地域や産地にも行けるよ」。20代後半で家業に入った雅人さん。どうやって機械調整の技術を習得したのかという質問にこう答えてくれた。「なんでも、自分でやりかけてみて分かるようになった。モーターをバラしてみたりフイラーを取り付けてみたり

ね」。高校卒業後に自動車会社に入り、整備士の免許を取得。次の職場では電気工事士の免許も取得した。池田絹織制作会社の引箔装置や佐和ダイレクトジャカード装置の設置の仕事を請け負った経験もある。家では創業者に当たる祖父が織直しをしていたし、父親が織機の組み立てをする後ろ姿を見て育った。「見て覚えろと言うばかりで、なかなか口では教えてくれなかったよ」。「やりかけて」の一言に、長い時間が凝縮されていた。

機場には、レールにホイスト式クレーンがかかっていた。フランジという円盤状のパーツがついた重たいビームを掛けるのに導入した物で、アングルを2つ合わせたレールは軽量で北陸産地特有のものだという。機械や設備を求めて訪れた北陸で見つけて導入した。「ひらく織のような活動は、僕もやってきたからいいことやと思うよ」。先駆者の言葉も受け取ったメンバーたち。数年後の機場がどう変わっているのか、今から楽しみだ。

 

雅人さんは2019年11月から「与謝野町織物技能訓練センター」の織物技術指導員にも着任した。丹後編Vol.4に登場した尾関正巳さんと共に、未来の機屋たちに技術指導を始めた。なんと心強い先輩がいることだろう。産地の未来が、ここから育っていく。

*1織機部品の1つ

直しを教える
京都府中小企業特別技術指導員 鈴木斎志

「うちの機場に来られた時、機音を聞いて『ここがおかしいで』とすぐに織機の不調を見つけてくれた」。ひらく織メンバーの一人が、鈴木斎志さんをそう紹介した。

京都府中小企業特別技術指導員 鈴木斎志さん

斎志さんは織機調整1級技能士の国家資格を持ち、京都府中小企業特別技術指導員として織機調整の技術指導にあたっている。「今日も織機調整の講義だと思って来たんだけど、違うの?」と、私たちにノウハウが詰まった指導マニュアルを渡してくれた。

 

京都府立峰山高等学校で紡織科に学んだ斎志さん。当時、技術は背中で見て学ぶ時代だったそうだ。「工場の調整員は、シャットルの走りが悪かったらピッカーを取り替えるくらいしか言ってくれないんだよ。下の世代が自分よりできるようになるのに抵抗があったのか、直すところもきちんとは見せてくれない時代だったね」。その時から、斎志さんは「技術は教えていかないとあかん」と胸の内で思っていた。学校の敷地内に織物指導所があり、公務員として技術指導の仕事があると知っていたが、卒業と同時に白生地製造を行う機屋に就職。「当時は公務員より機屋の方が稼げる時代だったんだよ」。冗談めかして話は進む。

1966年に入社した織元では織物技術の指導役として12年、次に転職した和装総合商社では10年の間品質管理部門を担った。「勤務した会社が、久美浜地区を中心に作業小屋を持つ農家の女性たちに機を貸し出して。私は指導役として技術を教えていった。先染めウールの着尺で、糸が丈夫だから織りやすい。1反12メートルで織工賃が1200円。2、3台を同時に動かすから1日約3600円の稼ぎになる。ものすごい勢いで出機が増えた」。会社員の給料が12万円くらいの時代に、内職で約10万円の稼ぎになる。世話をする織機の数は400台にもなったという。

 

総合商社の次には、複数の織物企業の技術顧問として「織り出し」を専門としたが、直しの仕事も多く、その割合が増えていった。企業で働く間も織物試験場には幾度となく通う機会があり、指導者になってくれないかと依頼を受け、京都府の技術アドバイザーになる。1990年のことだ。

「大きな織元には専門の機直し職人がいるけど、そこの機しか直すことができない。中小の機屋に技術を教えるのが大切だと思って」。斎志さん自身は「技術を見せない、教えない」慣習の中で鍛え上げられてきた。先輩の仕事を見ていると道具を投げつけられる。それでも見よう見まねで技術を磨いていった。「技術に対して執着心が出てくる、そういう育て方をされたね。1箇所を調整したら他も合わせて調整しないといけない。そこを隠しはされなかったけど、理由は言ってくれなかった」。織物業の隆盛と共に生きてきたからこそ、次世代育成の大切さを思うようになったのだろうか。現在は西陣の指導も行うテキスタイルテクノの一員としても活動している。産地を超えて職人育成に熱を注ぎ続けているのだ。

「僕の教え方は、とにかく触ってみる。理論は100回聞いても理論だから」。ひらく織にも、斎志さんの指導を受けて織機を一から組み立て、やり遂げたメンバーがいる。「な、あの時はきちんと出来ただろう」。生徒の仕事の出来栄えが誇らしそうだ。真面目な話をしながら「峰山には花街があって、本当に賑わっていて…」と、ちょっとした合間に小話挟む、そのお茶目な人柄に幾人もの職人が育てられてきた。

 

「今はそんなに販売ができなくても、必ず織物が必要になる時がくる。みんなオリジナルな製品が欲しいと思っている。焦らず、でもじっとしていたらあかんよ」。2021年3月、コロナ禍にいる私たちを暖かく力強い言葉で励ましてくれた。

日々の機場に不可欠なメンテナンス技術を教えてくれる先輩たち。この先もずっと指導をお世話になりたいと思うと同時に、甘えてばかりではいけないと思わされる。その仕事への敬意は、これから歩む道で表すほかにない。

 

記事 原田美帆 / 写真 黒田光力

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