ひらく織メンバー紹介 Vol.1
「ひらく織」で私たちが訪ねるのは、各地で育まれた最高の技術、それを受け継ぐ人。守り育てる人。切り開いていく人。そう、「機屋の未来を織りなす人たち」だ。
ひょっとしたら織物以上に魅力的な機屋たち。視察現場でのやり取りや空気、温度、会話のニュアンスまで伝えていきたい。そのために、まずは私たち自身をひらいていこう。「ひらく織」メンバー紹介第一弾!
リーダー高岡徹、ブレーン羽賀信彦、ライター原田美帆。
コアメンバーを構成する3人。
高岡さん(35歳)、羽賀さん(38歳)、原田(36歳)と年齢も近く、集まると笑いが絶えない。
高岡さん、羽賀さんは生粋の機屋。進学や就職を機に故郷を離れ、家業を継ぎに戻ってきた。
大学中退後、高美機業場に入った高岡さんは三児の父。自社のサイトで子どもたちがモデルを務めている。こ〜んなかわいい子どもに風呂敷を背負わせるなんて、ず、、、ずるい!
羽賀さんは、京都府立峰山高等学校機械システム科を卒業し、自動車関連会社のメカニックを10年勤めている。このあたりの技術や仕事の精度は、現在にも活かされていそう!
高岡さんいわく、
羽賀さんは検反を、めっちゃ、やる。普通の機屋より厳しい
そうだ。その後、お父様が病気で倒れたことをきっかけに機屋の道へ。お祖父様が創業した設備が残されていること、お兄様ふたりが機屋以外の道を選んだことも大きかった。このエピソードからも羽賀さんの優しさが見える。何といっても気配り&心遣いはチーム随一なのだ。
一方、私は地域おこし協力隊として与謝野に移住。当初は「京都Xキャンプ与謝野」という学生団体の事務役として働いていたが、与謝野という場所を選んだのは産地と繋がったものづくりがしたかったから。2年目には織物技能訓練を始め、3年目の今は製品の受注を開始し、「ひらく織」メンバーになり、都市部の友人にもこの町の技術と可能性を伝える企画を進めている。
製品も自己紹介!
高岡さんは「着物の半衿・帯揚・風呂敷の白生地と自社製造のオリジナル風呂敷」を生み出している。ユニークなちりめん風呂敷の図案は「鴨川志野」さんと「小倉充子」さんという作家を中心にしたもので、一目見たら忘れられない。
これからも、茶道において末長く使われるような時代を越えて重宝される風呂敷の製造を目標に、お父ちゃんは頑張る。
羽賀さんは「着尺、長襦袢、染め帯地などの和装用白生地」を手がけ、京もの認定工芸士として高い技術力を認められている。(「京もの認定工芸士」とは、京都府が認定した、特に技術に優れ、意欲ある若手職人への称号。高岡さんも認定されている。)
羽賀さんは正絹の白生地生産を主とする昔ながらの丹後のスタイルを受け継いで、「親機(おやばた)」として「出機(でばた)」への仕事の段取り、そして厳しい検品までを取りまとめている。
一部では廃業した機屋の仕事を受け継ぎ、特殊な織物も扱う。今後は現在扱っている織物を大切にしながら、さらに和装とは異なる分野へも挑戦。
私はPARANOMADという屋号で「カーテンやタペストリーなどインテリアの布、生活空間を包みこむ布づくり」をメインに活動。与謝野町織物技能訓練センターにて「津田駒のレピアER」(織機の名前)を貸してもらい、綿布を織っている。
織り組織のパターンから自分で考える布づくり。その楽しさと魅力をもっと多くの人に知ってほしい!素晴らしい技術をもった機屋さんに制作を依頼できる関係を作り、たくさんの人にオーダーメイドの生地を届けたいと日々奮闘中。
「機屋ってやばい!」
「機屋っておもしろい!」
「これからは機屋の時代!」
産地で頻繁に耳にする賛辞。
それはなぜ?をそれぞれの言葉で語ると、、、
高岡さん
布がつくれること。斜陽産業であること
羽賀さん
経糸・緯糸の組合せや密度を考えて、機場に行けば生地が作れる。思いたったら即行動にうつしてモノが出来上がること
原田
彫刻であること。
世界唯一の布を生み出せる、それに挑戦できること
概ね「布を織る」ことの魅力にとりつかれながら、それを表現する言葉に癖と個性が見える。
三者三様の言葉の背景を相互補完サイト「つづる織」に掲載。歩んできた道のりに、30代あるあるエピソード、卒業式サイン帳交換を思い出すような質問まで網羅!あわせてお読みください。これからの「ひらく織」がもっと楽しく深く読めるはず!?