YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

滋賀•湖東×麻織物

滋賀・湖東編Vol.1

「絹麻」。現在では入手が難しい最高級の麻糸を使った反物はまさしく絹の輝きを放っていると言う。麻のシワになりやすい性質を利用して、流れるような模様のシボ「縮」が揉み込まれた「近江ちぢみ(おうみちぢみ)」。

その発祥は一説には室町時代まで遡る。鈴鹿山系の水脈と適度な湿度が育んだ麻栽培と製織・加工技術は江戸時代には彦根藩の保護のもと品質が管理され、製品は近江商人によって東北から九州まで流通。行商を通して技術や図案の企画力が向上し、後の問屋・商社への発展と繋がる。戦中には贅沢品として生産が禁止されたが、戦後に復興し空前の麻ブームを巻き起こした。古代から私たちの肌を包み、着物から洋装、そして寝具やインテリア用品へ幅広く展開した麻織物。今日の姿を追って、滋賀県湖東地方を訪れた。

伝統と現代・二つの上布が織りなす未来 新之助上布

「クレイジー上布」。鮮やかな配色の新之助上布に、某百貨店の担当者から最大の賛辞として贈られた言葉。一反ずつ設計された縞柄は一つとして同じものがない。柔らかな色合いからポップ、エスニックな組み合わせまで、新之助上布の織物は色彩に溢れている。さらには「レトロキッチン」「CUT & FADE 山なみ」など物語のようなタイトルが1点ずつ付いている。製品を直売して、若手スタッフもいて…「理想の機屋を実現している」とひらく織チームが唸る現在のスタイルに至るまで、伝統工芸士・大西實さんが歩んできた道のりを伺った。

先代が小幅織物で創業。實さんは手作業による「手織り絵絣」の生産を続けながら、広幅のレピア織機を導入。アパレル向けのメンズシャツ地へと展開し、海外ブランドのOEM生産を20年近く続けてきたが「ウチの冠がついてないから」いずれ国外に流れる時代がくると気が付いていた。この時に積み重ねたノウハウ色糸の組み合わせやチェックの組み方は、後に色鮮やかな自社製品を生み出す礎に。シャツ地以外では、寝具やインテリアなども生産。そして12年ほど前に小幅織機での反物生産へ戻って来た。当時は問屋への製造卸業だったが徐々に図案の注文も尋ねてくる頻度も減り、反物を作っても工房に積んでいる状況に。

足踏み式のシャトル織機を操る大西實さん
絵絣の美しい反物
捺染の道具

ある時、個人のお客様から直接問い合わせが入り「問屋から“その製品の製造元は生産をやめている”と言われた」ことが発覚。それならばと、東京の物産展に反物を並べ直売を開始。こうして、上布を現代の感覚と技術で提案する「新之助上布」が誕生した。この転換から十数年、いまでも卸は一切していない。「問屋は誰が着ているか最終確認できない。ぐるぐる回ってゼロになっていないかも(=売れたのか分からない)」。この言葉にはひらく織メンバーも頷いていた。一柄一反とお客様の出会いを楽しみ、その後の宴席も楽しむ實さん。「本麻ちぢみ上布の色組や柄は若手に任せている。自分は無地の設計だけ」と後継者を大らかに見守り育てている。

「若手」というキーワードに私たちも反応。若い女性スタッフはご家族ではない?と気がつき、新之助上布に入ったきっかけを尋ねた。

ウェブショップや企画など手がける藤岡育子さん

ウェブショップを担当する藤岡育子さん。着物が好きで、地元に布の工場があるらしいという話をどこからか聞いていた。職人を訪ねる会に参加し、新之助上布へも見学に。何度か伺ううちに「販路開拓を考えている」話が浮上し「じゃあ、私がやります!」と8年前に参加。問屋から連絡が減った時期と重なり、オンラインショップに販売価格を掲載し、直売路線に舵を切った。裁縫の得意な友人、浦辺優子さんを誘い込み小物製作にも着手。育子さんが産休の間だけと事務仕事を預けて二ヶ月。復帰すると優子さんは機場に立っていた。

企画・機場作業から縫製まで行う浦辺優子さん

「ゆうちゃんが織ってる!」

事務仕事だけではつまらないだろうと「ちょっとやってみる?」と声をかけられた。「やってみたら楽しくて、そこからどっぷり。試行錯誤の連続が楽しくて、できたこと、できなかったことの積み重なった日々は気がつけば6年」。お二人とも子育てをしながら、人生の時間と共に上布と歩んでいる。

しぼを生み出す手わざ 有限会社伊徳織物整理工場

織りあがったばかりの麻織物は、フラットで糊もついてパリッとした状態。そこにきらめく川面のような縦方向のちぢみが加わると、先染めの色彩に立体感が生まれ、肌触りもふわりと軽くなる。近江ちぢみの「シボ」を生み出す現場へ。

有限会社伊徳織物整理工場取締役 伊谷寿康さん

創業は昭和9年。戦後の麻織物復興期に作業の近代化を進めてきた伊谷徳一さんにお話を伺った。もともとは天日干しのため天候に左右されていた加工に、昭和38年には乾燥機を導入。機械仕上げの風合いを研究し、テンター(幅出し機)も設置、昭和50年代の最盛期を前に小学校の校舎を移築して工場を増設。めまぐるしいほどに発展する中でも「木造の建物が良かったから」と、残すべきものに目を配り、地域のさまざまな役も担ってきたという。最盛期にはパート・アルバイト含め従業員70名を超え、自社に食堂も構えていた。現在では5名の職人が、機械と手作業を組み合わせて現代の製品から伝統工芸品の仕上げまでを行っている。

伊谷寿康さんに、近江ちぢみのできるまでを教えてもらった。まずは「毛羽焼き」。機械内部には青い炎が二列立ち上がっていて、そこを高速で織物が通り表面にある毛をガスバーナーで焼いてしまう。毛が燃える時にはオレンジの火がバチバチと上がり、生地の肌あたりを良くするために細かい毛もきれいに取り除かれる。織物の種類によって2回、3回と調整する大切な前工程。

あたりは香ばしい匂いに包まれる

続いては「シボとり」。毛羽焼きが終わった反物を水槽につけて脱水し「シボとり板」の上に乗せる。昔ながらの小幅の反物は木製の洗濯板のような台で作業していたが、広幅の製品が増えて、緑の樹脂製のマットを使うようになった。軽く水気を絞った状態から、手のひらで生地を揉み込む。体重をかけて、前後に転がすような動作。時々、生地を広げてしぼのつき具合と縮み率をメジャーで計って確認。製品にもよるが、およそ生地幅85%ほどのちぢみをつけるという。指定の寸法になったら、未加工の部分を台に乗せて同じ作業を繰り返す。注文によって、柔らかくも固めの仕上がりにも対応。「シボとり」はコストや納期によって機械でも行われているが、調整や仕上がり確認は職人が二人一組で付きっきりになる。加工という響きからはもっと工業的なものを連想しがちだが、人の目と手の感覚が生み出す造形表現だと感じた。現在でも伝統工芸品は完全に手仕事で行われている。

水気を吸った反物の移動はキャスター付きの浴槽で、その出し入れも人力。富士吉田の整理工場でも見た、とてつもない重労働。

糊抜きと水洗で不純物を取り除き「さおほし乾燥」へ。壁から蒸気が出て、すのこ状の床下へも風が回る仕組みになっている。温風で一晩かけてゆっくり乾かし、家で洗濯した後にシボ感が変わらないように、竿に干すという家庭と同じ状態にしておく。昔はこれを屋外で天日干しした。

さお干しは目にも留まらぬ速さ

この後は大型機械を通る工程へ。糊付けや薬剤、樹脂による加工が付与され、テンターで幅をきれいにセット。熱を使うものと、細かな仕上げ調整をする2種のテンターがある。最後には検反と、巻いたりたたんだりという「仕立て」を経て完成。

理想的なのは一つの工程ごとに一晩おき、生地が自然に伸びたり縮んだりする変化を調整する方法。麻織物は一般的に夏向けの商品が多く、そのシーズン性を補強するため通年販売できる寝具や座布団へも展開されてきた。しかし近年、加工時期が集中し、生地が入ってくるタイミングも遅くなっている。最終的に出荷する時期は変わらないため、整理工場等への負荷が増えている状況だと伺う。服地、小幅、座布団、寝具とさまざまに展開した麻織物の生産バランスが、少しずつ変化しているのかもしれない。それでも、最終の仕上げを担う有限会社伊徳織物整理工場では変わらぬ美しい「近江ちぢみ」が丹念に生み出されている。

湖東地方編Vol.2ではユニークなプロジェクトを生み出す工場を訪ねます。

お楽しみに。

 

記事 原田美帆 / 撮影 高岡徹

新之助上布

有限会社伊徳織物整理工場

つづる織-もう一つの産地ルポ

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