YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

東京・江戸×伝統/変革

東京・江戸編Vol.1

播州、倉敷、富士吉田、八王子、尾州、近江…これまで6つの産地を訪れたひらく織。私たちの取り組みよりもさらに前、2012年から全国の産地を訪れメーカーやデザイナーに繋ぎ、学校まで作り産地と人々を結びつけている人がいる。株式会社糸編 宮浦晋哉さん。すでにひらく織にも何度か登場している糸偏キーマンの一人。その宮浦さんに「現場を訪れてみないとね」と産地訪問を提唱した人がいる。宮本英治さん。現 文化・ファッションテキスタイル研究所所長であり、元みやしん株式会社代表取締役として近代日本テキスタイルの礎を築いた巨匠の一人。

 

 「二人に会って、ひらく織の針路を今一度考えよう」。

ひらく織東京編では産地訪問の決意も新たに、小売業の常識にとらわれず独自路線を切り開く企業や、江戸の技を伝える染め屋を訪ねた。どこを訪れても、キーワードはいつも一つだった。「向き合うべき課題から目をそらしてはいけない」と教えられた旅。

たゆまぬ学びが生みだす革新 文化・ファッションテキスタイル研究所

2012年に廃業し、繊維業界に衝撃を走らせた機屋「みやしん株式会社」。創業1947年、女性用の着物から男性用の着物製造へ、やがて服地開発に切り替えデザイナーズブランド全盛期のランウェイを賑わせ、名実ともに日本のトップを走り抜けた機屋が操業を止める。しかし、それは後ろ向きの選択ではなかった。「みやしんの持つ技術やデータという資産を次世代のものづくりへと引き継ぐ」。宮本英治さんは研究所の所長として新たな道を進み始めた。

網目状の布が知恵の輪のように組み合わされた「ジョインチェック」や組織の作り方で伸縮効果を生み出した「空羽プリーツ」、ニットのような継ぎ目のない「無縫製立体成型織」による帽子やスカート…宮本さんが見せてくれた織物は技術開発がデザインを生み出すということを証明していた。積み上げられた数々の織物を前に、質問をぶつける。「これからの機屋をどう思いますか」。

「一番の問題は繊維産地に根差す工業高校が激減していること」。

 

これまで幾度となく聞かれてきたであろう質問に「基礎知識や応用力がなく、先代がやってきたものを何とか引き継いでやっていくしかない。親がしていることを継ぐだけでは、壁にぶつかった時に越えられる技術や力が生まれない」と即答する宮本さん。ひらく織メンバーが直面する課題をそのまま言い当てられていた。分かってはいても、現に工業高校は既になくなっていたし、家業を回すのに必死で「今から学ばなくてはと思っていて…」。

そもそも、機屋が身につけるべき基礎知識とは?「昔の工業高校の教科書の内容だけでなく、様々な素材を知り、それらに挑戦することも大事。絹産地であっても綿・麻、毛や化学繊維など。極端な例では衣服用素材でないジュートを経糸にしたり釣り糸に使うテグスを使ったり。うまく織れなくても、その経験が他の問題解決の糸口になることだってある」。親から受け継ぐ織物設計だけでも、膨大な量だが、他人に追いつき追い越すために学ぶべきことは際限なくある。

「周りの機屋の後継者は工業高校入学時から基礎教育をスタートし、僕は28歳からスタート、つまり約12年のハンデ、寝てなんかいられないと心に決めた」。次男だった英治さんは一般企業に就職。しかし家業の忙しさに呼び戻しがかかり、営業として多くの問屋・小売店を回るようになる。当時、織元が小売先まで行くのは珍しいこと。それが着物の出荷反数の減少を見越し、服地へ舵を切る目を育てていた。家業にのめり込み、繊維やファッション、服の型紙制作も通信教育などあらゆる方法で勉強し、現場作業も織機の吊り込みから紋紙に穴を開けるピアノマシーンの操作まで習得。和装から服地へ、ジャカード織機からドビー織機への切り替えを進めた。

ジャカードは経糸を開口させる経針を1本毎に制御でき、色々な絵柄を描き出すとことが可能。一方、ドビー織機は経糸を何本かまとめて操作するから比較的簡単な柄しか織れない。それなのに、なぜドビー織機へ転換を?

 

「ジャカードは単純すぎると思った。柄を作ったり色を出したり、絵を忠実に表現することに走ってしまいがち、しかも経糸密度の変更に時間や手間がかかり過ぎ、流れの速いファッションには不向き。織物の風合を追求するならドビー。柔軟性、落ち感・張感などを織組織や糸種・密度など無限の組合せの中から答えを探る。」織物を突き詰めていった結果、絵柄ではなくなったということ。基本とするドビー織は経糸12本、緯糸12本。タテヨコの交差数は144か所で組織数の理論値は約2230正。聞いたことのない単位だったが約281兆の3乗だという。タテヨコ同密度の場合、その面積は約1.5ミリ四方から57ミリ四方。無限とも言えるパターンこそが糸を織物たらしめる構造であり、わずか数ミリ四方の中に展開する宇宙。織物とは、なんて途方もない存在なのだろう。

みやしんの生地は1980年代はじめ日本人デザイナーのパリコレデビューを飾り、やがて世界中から注目を集めるようになる。そして製造業だけに止まらず、服飾専門学校の見学や研修を受け入れ、就職口にもなり、さらに先のブランドまでデザイナーを繋ぐ役割も担ってきた。だからこそ若手育成が日本の織物技術継承の鍵だと確信し、同時に文化学園の考え方とも一致し研究所設立へと至った。着物から服地への流れを見抜いた目が、次に捉えた潮流。

「丹後には頑張って欲しい。色や絵を付けたり描いたりする為の白生地だからと、自分たちのものとして誇りを持って作っていないのでは。以前、丹後で勉強会をしたこともあるよ」。ひらく織メンバーも即座に答えた。「教えてください。勉強会、お願いします」。待った無しの状況、言い当てられた課題、悩んでいることなんて丸わかりだ。みやしん株式会社の時代から研究所まで引き継がれる理念「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」がひらく織メンバーの機場をも照らしていく。

地域文化の発信基地 うなぎの寝床

ガラス張りの窓には日本地図が描かれて、製造場所と販売場所がマッピングされている。壁一面の棚には色とりどりの「もんぺ」、モダンな器に木工製品、さらにはスニーカーまで並び、思わず手が伸びる。

宮浦晋哉さんのアテンドで訪れた「うなぎの寝床」は福岡県八女市に拠点を構える「地域文化商社」。綿の先染織物「久留米絣(くるめがすり)」の産地として知られ、昭和の頃から絣生地を使ってもんぺを製造してきた地域だ。うなぎの寝床では織元から直接仕入れた生地を現代的な細身シルエットのもんぺに仕立て、販売まで手がけている。

「昔ながらの小幅織物でも、現代に通用するプロダクトを生み出せる」。

小幅というのは、着物の仕立てに必要な幅40センチ前後の織物を指す。洋服を仕立てるには幅が足らず、製品展開が限定されるというのが小幅織物を主とする丹後の大きな課題。近年織機の広幅化を推進してはいるが依然として立ちはだかる壁なのだ。「小幅の可能性はまだ眠っている」。晋哉さんが私たちに伝えたかったメッセージが、うなぎの寝床に並べられていた。

店内のバラエティー豊かな商品が示すように、うなぎの寝床が展開する事業はもんぺに止まらない。「九州ちくごのものづくりを伝える」を命題として、魅力的な産物の販売と情報発信を始め、動画制作、コンサルティング、WEB制作と多岐にわたる展開をしている。「地方に残るものづくりを継続していくために経済を回す」仕組みを作り、実現している企業。次は久留米の機場を訪れることを約束して店を出た。

物語を紡ぐ呉服店 銀座もとじ

銀座に3店舗を構える呉服店。そう聞くだけで緊張していたが、木と石と紙で設えられた空間はモダンで明るく、お店の方々は皆笑顔で迎えてくれた。

店主の泉二弘明さんは奄美大島出身のランナーだった。箱根駅伝に憧れて上京するが、怪我により挫折。夢をあきらめ大学も退学し途方に暮れる毎日を過ごしていた。そんなある日、母親が島を出るときにカバンに忍ばせてくれた父親の形見の大島紬を何となく羽織った際に、「お前には着物がある。これで身を立ててみろと言われているような気がして」日本一の銀座で独立しようと一念発起。問屋での修行にはじまり、独立資金を貯めるため始めたちり紙交換では目分量ではなくきちんと秤を用いたり時間通りに訪問したりと、これまで誰もしてこなかった工夫を重ね、商売の鉄則を学んだ。起業のために医師協同組合で人脈づくりにも励んだ。やがて病院のカルテから発想を得て「お客様カルテ」を考え出す。一つの経験からいくつもの収穫を得て、30歳で独立創業。しかしそれは、老舗名店がひしめく銀座の中でまるで“一匹の蟻が象に立ち向かう”という厳しい毎日の始まりだった。

「業界の常識は一般の非常識」を信念に、仕立上りの価格を雑誌に掲載したり、日本初の男の着物専門店を構えたり、仕立ての仮縫いサービスを開始したり…呉服業界の風習に囚われず、常に「自分がお客様の立場だったらどうされたら嬉しいか?を考え「銀座もとじ」にしかできないおもてなしを提供してきた。創業からの歩みを聞きながら、ひらく織メンバーの胸中を思う。

厳しい呉服業界のしきたり、問屋との関係。家業であるが故に、自分の代でどう戦えるか腹をくくるのは容易ではない。

やがて銀座もとじの手法に時代が追いついてくる。不景気による小ロット生産の増加、グローバル化による着物の再評価、顧客データの集積「カルテ」による丁寧な接客。仮縫いサービスはお客様との接点を増やし、和裁士を海外の競合から守り、そしてそれはお客様にとっても、自分の体型にきちんと合った寸法で着こなすことができ、自信や喜びにつながる。

「私たちの仕事は着物を売るのではなく、作り手の思いをお客様に届け、お客様と作り手の架け橋となることだと思っています」。後編では、2代目泉二啓太さんに作り手との関わりについて伺います。

 

お楽しみに!

記事 原田美帆 / 写真 高岡徹、黒田光力

株式会社糸編

株式会社銀座もとじ

文化・ファッションテキスタイル研究所

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