YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT

山梨・富士吉田×産地活性/ファクトリーブランド

山梨・富士吉田編Vol.3

産地を超えて機屋を支える 渡辺繊維機械工業

織機、撚糸機、染色設備、あらゆる機械修理を40年。「あの機屋の織機入れ替えも私がやったよ」。渡辺貞美さんは郡内産地で「機屋番匠(ばんしょう)」と呼ばれる。丹後では「機直し」という、織機の調整から修理までを担う職人だ。

機屋番匠 渡辺貞美さん

丹後でも主力となっているシャットル織機はすでに製造を終了。メーカーによるメンテナンスは難しくなり、機料品店も姿を消していくなか、その維持管理は大きな課題となっている。「部品取り用」の織機を保有して解体しながらメンテナンスする機屋も少なくない。「丹後にも修理に行ったことがあるよ」という貞美さんに修理保全について伺った。

 

「ここがうちの心臓部。織機部品は“ないものはない”。お客さんのために不要かも知れないものもいっぱい置いている」。部屋中を埋め尽くすパーツやギヤの山。機屋にとって宝物のような光景が広がっていた。

「シャットル織機の部品数はネジまで合わせて約5000点、レピアは半分くらい。力織機が電気化されて、次に電子になって、新しいものが出るたびに勉強してきた。そうして現場で身体で習得しないとついて行けないからね。今はもう定年だけど従業員もいるから続けている」。その従業員の方も聞けば70代だと言う。引退できない本当の理由は、貞美さんなしに産地が継続できないからではないだろうか。「昔はみんな機屋で、隣のおっちゃんに直してもらう時代もあった」。向かいも隣も機屋で夜中の機音が気になることなどなかったそうだ。今でも郡内では24時間ずっと織機が動き続けているところが少なくない。「西脇も夜中まで機音が聞こえます」と東播染工の小野圭耶さんからも播州産地の様子が付け加えられる。

自社にも2台の織機を備える貞美さんに「織機をほおっておいて大丈夫ですか」とメンバーが心配する。シャトルの管交換を人手で行っている丹後ちりめんの製造現場では常に織機に張り付いていなければならない。「うちはレピアだし、トラブルが起こりにくい速度に調整して合理的な回転に設定してあるから大丈夫」。そこに食らいついたのが、もう一人播州産地から合流した大城戸織布の穐原(あきはら)真奈さん。「桐生ピッチ」と貞美さんが呼ぶ1000口のジャカードの運動を織機に伝えるロッド(運動棒)を見て「うち(大城戸織布)ではチェーンドライブで行なっているので、違う方法が面白い」と目を輝かせる。貞美さんは「プーリー」という車輪のような形をした部品でベルトからの動力伝達を操っていた。そこかしこに機屋番匠の技術が光る工場に一同のテンションは上昇し続けて…「10日くらい合宿すれば飲み込めるよ」と呼応する貞美さん。機屋メンテナンス塾、実際に企画してしまおうか。

機械という側面から産業を支えてきた機屋番匠の仕事は、幾つもの産地をまたぐ。東京都八王子市にあった製糸機を筑波の研究施設開設に合わせて移設、そこからさらに長野県岡谷市まで移したことも。「村や町にいたのでは位置が分からない。水戸黄門のように旅に出て、見つけたいいところを取って当てはめていくといい。富士吉田もそうやって発展した」。郡内産地は羽織裏の甲斐絹(かいき)から始まり服地の裏地へ。やがて傘地や夜具座布(やぐざぶ)に広がり、近年では緞子からドレス、ネクタイ、服地へと全国でも珍しいほどの多品種産地に発展。東京に近いからこそ歩めた、探らねばならなかった道。

 

「産地形成の特色を吸い取って、自分のところに生かす。その産地のノウハウを習得した上で他の製品も作れるようになれば、機械も技術も腐るものではないから」。正しくて遠い目標にひらく織チームの受け答えはぎこちない。それを感じてか、最後にきちんと目の前の階段に引き戻してくれた。「機械も織物も、早く体験して早く処理を考えるのがいいよ。完璧な工場はないから」。

産地という原点 ひらく織の目指すもの

「富士吉田はこれからどこを目指すのでしょうか」。

山梨県産業技術センター 五十嵐哲也さんに、与謝野町商工振興課 松本潤也さんが切り出した。「ひらく織」を通した産地交流の出口をどこに設定するべきなのか。家業を強く太い産業へ育てることを第一の目標に掲げながら、そのほかの切り口の可能性を、丹後産地へ還元できることを、私たちは今も模索している。自身も千葉からの移住者である哲也さんが、産地の中に入りながら産地を外から見てきた姿を、皆が知りたがっていた。

山梨県産業技術センター 五十嵐哲也さん

「現場はかっこいい。風景も音も、魅力に溢れている。けれど製品にお金を払う行為にそのかっこよさが繋がっていない。消費の現場にこのかっこよさが見えていないことをどうにかしたかったのが始まりです」。

 

「あぁそうだ」。思わず私感を書いてしまうほどに、産地の営みは美しい。

Watanabe Textile 機場にて

産地観光として注目を集めるハタオリマチの取り組みは、約10年前の展示会や都市部への出店から始まる。それが何年続くものなのか、ゴールがどこにあるのかも分からないスタート。ビジョンやターゲットも明確なものではなかった。しかし、一直線に進むというやり方ではなかったゆえにグレーゾーンが生まれ、その許容がプロジェクトのバランスを保ってきた。何より、チャンスに挑む恐怖に向き合い、一つ一つの取り組みに丁寧にボールを打ち返してきた。「OEMとしての受け身がちな体質はレベルの高い依頼を臆せず打ち返す技術力を育て、手間をかける習慣を生み出します。東京からの微妙な距離は背水の陣とも言える覚悟を後継者に与え、都心から来る人にはショートトリップ感が味わえる位置にありました。家族で経営する企業規模は小回りがきくだけでなく、外から来た若者を自然と家族のように包み込んでいました。郡内産地のネガティブな要素をポジティブな性質へと言い換えてみると、産学コラボレーションやデザイナーとの共同作業を受け入れる素養を備えていたのです」。山梨県産業技術センター、通称「シケンジョ」職員として織物の研究に向けられる洞察眼が分析した産地の姿。

豊かな水系から産地が発展した

冒頭の問いかけに戻ろう。

これまで人間は、何千年という進化を通して「ものを作る」現場を遠ざけてきた。身の回りは生産現場を知らない製品に囲まれて、皆が違和感を覚えている。もののルーツを知りたい、取り戻したいという衝動は、釣りや菜園、燻製に発酵食というトレンドに現れ始めた。「産地は、人々が目指す最終地点になる。その受け入れ準備をしないといけないと考えています」。

 

「はじまりの場所が最終地点になる」。

美しい歌を聞いたような気分だった。丹後産地が目指すべきもの、その姿も美しいことを信じたい。

丹後ちりめんを生み出す八丁撚糸機

先遣隊として一人で訪れた2017年には一度も見えることのなかった富士山が、季節外れの暑い太陽に照らされていた。麓からの紅葉でわずかに朱に染まっている。一年前もそのずっと前も、雲に隠れていても、ずっとそこに在り続ける富士山。そこに重なる言葉を授かった。

 

「縄文の頃から2000年以上続いて来たハタオリ。人が生きていくための欠かせない行為であり、本質的な姿。それを戦後の何十年という短いスパンの評価で失っていいのでしょうか」。

 

記事 原田美帆 / 撮影 黒田光力

穐原真奈

渡辺さんの職人としての誇りと責任感がとてもかっこよかったです!お話はもちろんですが、渡辺さんの作業場や機場を拝見してその志の高さに心打たれました!私も常に志高く仕事をしていきたいと思いました。

小野圭耶

はじめての富士吉田は、機屋さんとデザイナー、若い世代との関係性がとても暖かく、産地に根差したキーパーソンが多い理由が分かった気がしました。 丹後チームの工場見学は、まさしく本気の工場見学だと思います。とっても刺激になりました。

羽賀信彦

富士吉田産地の人達は外部の人にも非常にオープンなところでした。先染織物を中心に後染織物まで多種多様な織物があったのと、若い従事者が多かったことがとても印象的。丹後と同じようにOEMの仕事をしてるとこや、デザイン、生地から完成品までを作り上げる企業が丹後産地より多くて、非常に刺激をうけました。

堀井健司

若手の機屋の方がおられ、積極的にモノづくりを行い、一体となって産地を盛り上げようという印象を受けました。また、産地としてのこれまでの歴史が丹後と重なる部分が多く、自分がこれからどう進むべきか参考にしていける産地だと思いました。

ハタオリマチのハタ印

フジヤマテキスタイルプロジェクト

つづる織-もうひとつの産地ルポ

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